信号待ちの車から、いきなり子供が顔を出して「おっはー」と言った。だから「おっはー」と挨拶した。




2000ソスN11ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 24112000

 霜の夜のミシンを溢れ落下傘

                           永井龍男

争末期の句。「大船某工場にて」とあり、この「某」は軍事機密ゆえの「某」である。作者は文藝春秋社の編集者だったから、取材のために訪れたのだろう。霜の降りた寒い夜、火の気のない工場では、「女工」たちが黙々と落下傘の縫製に追われている。ミシンの上に溢れた純白の布が目に染みるようであり、それだけに一層、霜夜の寒さが身をちぢこまらせる。「ミシンを溢れ」は、実に鮮やかにして的確な描写だ。一世を風靡した軍歌『空の神兵』で「藍より青き大空に大空に、たちまち開く百千の、真白き薔薇の花模様」と歌われた「落下傘」も、こんなふうに町の片隅の工場で、一つ一つ手縫いで作られていたわけである。ところで、往時の作者の身辺事情。「収入皆無の状態のまま、応召社員の給与、遺家族に対する手当支給などに追われた。空襲は頻度を増し、私の東京出勤もままならなかった」。そして、同じ時期に次の一句がある。「雑炊によみがへりたる指図あり」。文字通りの粗末な「雑炊」だが、やっと人心地のついた思いで食べていると、ふと会社からの「指図(さしず)」がよみがえってきた。すっかり、失念していたのだ。食べている場合じゃないな。そこで作者は、「指図」にしたがうべく、食べかけた雑炊の椀を置いて立ち上がるのである。この句は、戦中を離れて、現代にも十分に通じるだろう。なにしろ「企業戦士」というくらいだから……。『東門居句手帖・文壇句会今昔』(1972)所収。(清水哲男)


November 23112000

 戸隠の天へつらなる凍豆腐

                           佐川広治

豆腐(しみどうふ)は、関西あたりでは「高野(こうや)豆腐」と言う。その昔は、高野山で僧侶が作っていたからだ。我が故郷の山口県でも、そう呼んでいた。いまでは、戸隠(とがくし)のある長野県が産地として有名らしい。零下の気温が必要なので、寒い地方でないと作れない。戸隠では見たことがないけれど、花巻だったか遠野だったか、岩手を旅した折りに生産現場を見たことがある。小さな積木状の豆腐を何層もの竿にかけ、高く天日で乾かす様子は、なるほど「天へつらなる」感じがする。それに、戸隠といえば、天手力男命が投げた天岩戸が落ちた場所だと言い伝えのある土地だ。戸隠山は、天岩戸が変化してできた山なのだとも……。したがって、地元の人の「天」への意識も強いのだろう。ここで「戸隠」は単なる地名ではなく、そういうことも含んでいるのだと思う。「すぐそこに戸隠尖り秋の天」(篠辺楠葉)。高校時代、甘辛く煮た「凍豆腐」を、母はよく弁当のおかずに入れてくれた。欠点は汁がしみ出てご飯を侵食するところだが、まあ、食べ盛りだから、そんなに気にもならなかったけれど……。昼前の二時間目くらいまでで弁当は食べてしまい(授業中に食べたこともあったっけ。センセイ、ごめんなさい)、本当の昼食時には、もっぱら食堂で一杯18円だった「かけうどん」を食べていた。私が高校生だったのは、1953年(昭和28年)からの三年間です。『合本俳句歳時記第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


November 22112000

 化けさうな傘かす寺のしぐれかな

                           与謝蕪村

り合いの寺を訪ねたのだろう。辞去しようとすると、折りからの「しぐれ」である。で、傘を借りて帰ることになったが、これがなんとも時代物で、夜中ともなれば「化けさうな」破れ傘だった。この傘一本から、読者は小さな荒れ寺を想起し、蕪村の苦笑を感得するのだ。相手が寺だから、なるほど「化けさうな」の比喩も利いている。「化けさうな傘」を仕方なくさして「しぐれ」のなかを戻る蕪村の姿には、滑稽味もある。言われてみると、たしかに傘には表情がありますね。私の場合、新品以外では、自分の傘に意識することはないけれど、たまに借りると、表情とか雰囲気の違いを意識させられる。女物は無論だが、男物でも、他人の傘にはちょっと緊張感が生まれる。さして歩いている間中、自分のどこかが普段の自分とは違っているような……。「不倶戴天」と言ったりする。傘も一つの立派な「天」なので、他人の天を安直に戴(いただ)いているように感じるからなのかもしれない。ところで「しぐれ(時雨)」の定義。初冬の長雨と誤用する人が案外多いので書いておくと、元来はさっと降ってさっと上がる雨を言った。夏の夕立のように、移動する雨のことだ。曽良が芭蕉の郷里・伊賀で詠んだ句に「なつかしや奈良の隣の一時雨」とあるが、この「一時雨(ひとしぐれ)」という感覚の雨が本意である。蕪村もきっと戻る途中で雨が止み、「化けさうな」傘をたたんでほっとしたにちがいない。(清水哲男)




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