リ榛句

November 27112000

 団交の静寂だん炉のよく燃えて

                           鈴木精一郎

寂に「しじま」の振り仮名。戦後も間もなくの句である。寒い季節の「団交(団体交渉)」だ。「春闘」かもしれないが、春の季語に「春闘」はあるので、ここは冬のボーナス闘争と読んでおきたい。作者は山形在住の八十歳、このときは炭坑に勤めていた。敗戦後、この種の組合運動は全国に燎原の火のように広がったが、都会の大企業ならばともかく、土地っ子が地元の会社に就職しての「団交」は難しかったろう。相手が社長だ専務だといっても、子供のころから顔なじみのおじさんだったりしたからだ。なかには、親戚の人までがいたりする。なかなか「闘争」と叫んで、拳を振り上げる心境にはなれない。しかし、かといって何も言わなければ、出るものも出ないわけで、ここらあたりが組合幹部の辛いところであった。受けて立つ会社側にしても、事はほぼ似たようなもの。「団交」とはいいながら、しばしば気まずい沈黙のときが訪れる。手詰まり状態のなかで活気があるのは、燃え盛る「だん炉」の火のみだ。「よく燃え」ている「だん炉」の火の音までが、聞こえてくるような佳句である。句集のあとがきによれば、この炭坑山も1965年(昭和四十年)に閉山になったという。「みんな仲間だ、炭掘る仲間」と歌って団結していた三池炭鉱労働者のみなさんも、いまや散り散りに……。労働組合のありようも形骸化の一途をたどりつつあるようで、すっかり気が抜けてしまった。『青』(2000)所収。(清水哲男)


March 0532002

 山刀伐の山田ひそかに蝌蚪育つ

                           鈴木精一郎

語は「蝌蚪(かと)」で春。おたまじゃくし。古体篆字(てんじ)の称。中国の上古に、竹簡に漆(うるし)汁をつけて文字を書いたもの。竹は硬く漆は粘っているので、文字の線が頭大きく尾小さく、おたまじゃくしの形に似ていたところからの名[広辞苑第五版]。「山刀伐(なたぎり)」という言葉は、この句で初めて知ったのだけれど、たぶん山刀で周辺の雑木や薮を伐採することだろうと読んでおく。小さな山あいの田圃、すなわち「山田」の周辺には、春先、雑木や雑草の類が田圃の端に覆いかぶさるように生えかかっているので、これからの農作業には何かと邪魔になる。そこで作者は、それらをなぎ払うようにして伐採しているのだ。森閑とした山田の周辺に響いているのは、作者が山刀を振るっている音のみである。一呼吸入れるために手を休めれば、あたりは静寂そのものとなる。ふと見ると、田圃のそこここの水たまりには、生まれたばかりのおたまじゃくしの群れが、ちらちらと春光のなかに影を引いている。まったき静けさのなかで、音もなく育っている生き物の影を認めて作者は微笑し、再び山刀を振るう。早春の山中での一景。しいんとした田舎の自然の味わいが、よく伝わってくる。少年時代を、私はいま思い出している。『青』(2000)所収。(清水哲男)

★「山刀伐」について数名の読者の方より、芭蕉が奥の細道で難渋した「山刀伐峠」のことではないかとのご指摘がありました。早速手元の百科事典で調べてみましたら、このような記述が……。「山形県北東部、尾花沢市と最上郡最上町の境にある峠。標高510メートル。藩政期には村山地方と盛岡藩領、仙台藩領を結ぶ重要な街道で、1689年(元禄2)芭蕉はこの峠を越えて尾花沢へ入った。現在、「奥の細道山刀伐峠」の石碑があり、峠付近は奥の細道探勝路となっている」。掲句の作者が山形の人であることを考え合わせると、この峠のことを指しているのに、ほぼ間違いはないでしょう。つまり、私が大間違いをしたわけで、まことに申し訳ないことでした。『おくの細道』は何度も読んでいるのに、なぜ気がつかなかったのかと、気になってそちらを当たってみましたら「山刀伐峠」という地名は出ていませんでした。ただ、その峠の剣呑な様子の描写があるだけ。尾花沢へのルートを知る人には地名がわかるのでしょうが、原文だけからはわからないはずです。というようなことで、上記の文章は「誤読記念」としてそのままにしておきたいと思います。ご指摘いただいたみなさま、ありがとうございました。




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