小学校では火鉢、中学ではストーブ、高校ではスチーム。火鉢時代は週番が火起しから消すまでを担当。




2000ソスN11ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 29112000

 短日や書体父より祖父に似る

                           廣瀬直人

ッとした。こういうことは、思ってもみなかった。たしかに「書体」だって、遺伝するだろう。身体の仕組みが似ているのだから、ちょっとした仕草や動作にも似ているところがあるのと同じことで、「書体」も似てくるはずである。そういうことを、掲句に触れた人はみな、ひるがえって我が身に引きつけて考える。その意味では、この句はすべての読者への挨拶のように機能している。私の場合、二十代くらいまでは父の書体に似ていた。良く言えば几帳面な文字だが、どこか神経質な感じのする「書体」だった。さっき大学時代のノートの小さな文字列を見てみて、まぎれもない父似だと感じた。ところが、三十代に入って文筆を業とするようになってからは、「書体」が激変することになる。貧乏ゆえ原稿用紙を買うのが惜しかったので、最初に関わった「徳間書店」で大量にもらった升目の大きい用紙を使いつづけたせいだと思う。大きな升目に小さな文字ではいかにも貧相なので、升目に合わせて大きく書くようになった。以来の私の文字は、母方の祖父の「書体」に似ているような気がする。彼の文字は、葉書だと五行ほどで一杯になるくらい大きかった。祖父の体格は「書体」にふさわしく堂々としていたが、私は華奢だ。しばしば、編集の人から「身体に似合わない字を書きますね」と言われた。「短日(たんじつ)」は「秋思」の延長のようにして、人にいろいろなことを思わせる。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)


November 28112000

 石蕗の黄に十一月はしづかな月

                           後藤比奈夫

週末の旅の途次、沼津の友人の案内で「沼津御用邸記念公園」に立ち寄った。ここは明治天皇が孫のために作った別荘地だが、空襲で焼けてしまった(園内には古墳形の防空壕が残されている)。それが戦後も二十年ほど経ってから沼津市に無償返還され、いまの公園に仕立て上げられたものである。海浜の静かな公園だ。園内は折しも、そこここに植えられた黄色い石蕗(つわ・つわぶき)の花盛り。元来が、海岸や海に近い山などに自生するらしいが、私は旅館などの日当りのよくない庭の隅にひっそりと咲いている姿しか見たことがなかった。花の黄は鮮やかだけれど、キク科独特の暗緑色の葉の印象が強いために、どちらかといえば地味で暗いイメージしか持っていなかった。たとえば「石蕗咲くや葬りすませし気の弱り」(金尾梅の門)のように、である。だから、公園で行けども行けども石蕗の花ばかりの道を歩いているうちに、小春日和のせいもあったのだろうが、かなりイメージが変わってきた。落ち着いた明るさを天にさしあげるようにして咲く、味わい深い花だと思ったことである。そんな目で掲句を読むと、たしかに納得できる。「十一月」という「しづかな月」をイメージさせる花として、石蕗は確かな位置を占めているのだなと……。その「しづかな月」も、間もなく過ぎていく。やがて、石蕗も枯れてしまう。『合本俳句歳時記第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


November 27112000

 団交の静寂だん炉のよく燃えて

                           鈴木精一郎

寂に「しじま」の振り仮名。戦後も間もなくの句である。寒い季節の「団交(団体交渉)」だ。「春闘」かもしれないが、春の季語に「春闘」はあるので、ここは冬のボーナス闘争と読んでおきたい。作者は山形在住の八十歳、このときは炭坑に勤めていた。敗戦後、この種の組合運動は全国に燎原の火のように広がったが、都会の大企業ならばともかく、土地っ子が地元の会社に就職しての「団交」は難しかったろう。相手が社長だ専務だといっても、子供のころから顔なじみのおじさんだったりしたからだ。なかには、親戚の人までがいたりする。なかなか「闘争」と叫んで、拳を振り上げる心境にはなれない。しかし、かといって何も言わなければ、出るものも出ないわけで、ここらあたりが組合幹部の辛いところであった。受けて立つ会社側にしても、事はほぼ似たようなもの。「団交」とはいいながら、しばしば気まずい沈黙のときが訪れる。手詰まり状態のなかで活気があるのは、燃え盛る「だん炉」の火のみだ。「よく燃え」ている「だん炉」の火の音までが、聞こえてくるような佳句である。句集のあとがきによれば、この炭坑山も1965年(昭和四十年)に閉山になったという。「みんな仲間だ、炭掘る仲間」と歌って団結していた三池炭鉱労働者のみなさんも、いまや散り散りに……。労働組合のありようも形骸化の一途をたどりつつあるようで、すっかり気が抜けてしまった。『青』(2000)所収。(清水哲男)




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