続・火鉢。週番の腕前は誰よりも早く登校して、他のクラスよりもよい炭を大量に教室に確保すること。




2000ソスN11ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 30112000

 薪をわるいもうと一人冬籠

                           正岡子規

いに倒れた子規を看病したのは、母親と妹の律(りつ)である。元来が男の仕事である薪割りも、病臥している子規にはできない。寒い戸外で、「いもうと一人」が割っている「音」が切ない感じで聞こえてくる。病床は暖かく「冬籠(ふゆごもり)」そのものだ。申し訳ないという思いと同時に、けなげな「いもうと」への情愛の念が滲み出た一句だ。平仮名の「いもうと」が、句にやわらかい効果を与えていて素晴らしい。ところで、この句だけを読むと、子規は「いもうと」に対して常にやさしい態度で接していたと思えるが、実はそうでもなかった。『病臥漫録』に、次の件りがある。「律は強情なり 人間に向って冷淡なり 特に男に向って shy なり 彼は到底配偶者として世に立つ能(あた)はざるなり しかもその事が原因となりて彼は終(つい)に兄の看病人となりをはれり (中略) 彼が再び嫁して再び戻りその配偶者として世に立つこと能はざるを証明せしは暗に兄の看病人となるべき運命を持ちしためにやあらん」。このとき、子規は三十五歳、律は三十二歳だった。いかな寝返りも打てぬ病人とはいえ、あまりにも手前勝手な暴言だと憤激するムキもあるだろう。しかしこの文章を読み、また掲句に戻ると、子規の「いもうと」という肉親に対する思いは、どちらも本当だったのだという気がする。すなわち肉親に対する情愛、愛憎の念は、誰にでもこのように揺れてあるのではないだろうか、と。(清水哲男)


November 29112000

 短日や書体父より祖父に似る

                           廣瀬直人

ッとした。こういうことは、思ってもみなかった。たしかに「書体」だって、遺伝するだろう。身体の仕組みが似ているのだから、ちょっとした仕草や動作にも似ているところがあるのと同じことで、「書体」も似てくるはずである。そういうことを、掲句に触れた人はみな、ひるがえって我が身に引きつけて考える。その意味では、この句はすべての読者への挨拶のように機能している。私の場合、二十代くらいまでは父の書体に似ていた。良く言えば几帳面な文字だが、どこか神経質な感じのする「書体」だった。さっき大学時代のノートの小さな文字列を見てみて、まぎれもない父似だと感じた。ところが、三十代に入って文筆を業とするようになってからは、「書体」が激変することになる。貧乏ゆえ原稿用紙を買うのが惜しかったので、最初に関わった「徳間書店」で大量にもらった升目の大きい用紙を使いつづけたせいだと思う。大きな升目に小さな文字ではいかにも貧相なので、升目に合わせて大きく書くようになった。以来の私の文字は、母方の祖父の「書体」に似ているような気がする。彼の文字は、葉書だと五行ほどで一杯になるくらい大きかった。祖父の体格は「書体」にふさわしく堂々としていたが、私は華奢だ。しばしば、編集の人から「身体に似合わない字を書きますね」と言われた。「短日(たんじつ)」は「秋思」の延長のようにして、人にいろいろなことを思わせる。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)


November 28112000

 石蕗の黄に十一月はしづかな月

                           後藤比奈夫

週末の旅の途次、沼津の友人の案内で「沼津御用邸記念公園」に立ち寄った。ここは明治天皇が孫のために作った別荘地だが、空襲で焼けてしまった(園内には古墳形の防空壕が残されている)。それが戦後も二十年ほど経ってから沼津市に無償返還され、いまの公園に仕立て上げられたものである。海浜の静かな公園だ。園内は折しも、そこここに植えられた黄色い石蕗(つわ・つわぶき)の花盛り。元来が、海岸や海に近い山などに自生するらしいが、私は旅館などの日当りのよくない庭の隅にひっそりと咲いている姿しか見たことがなかった。花の黄は鮮やかだけれど、キク科独特の暗緑色の葉の印象が強いために、どちらかといえば地味で暗いイメージしか持っていなかった。たとえば「石蕗咲くや葬りすませし気の弱り」(金尾梅の門)のように、である。だから、公園で行けども行けども石蕗の花ばかりの道を歩いているうちに、小春日和のせいもあったのだろうが、かなりイメージが変わってきた。落ち着いた明るさを天にさしあげるようにして咲く、味わい深い花だと思ったことである。そんな目で掲句を読むと、たしかに納得できる。「十一月」という「しづかな月」をイメージさせる花として、石蕗は確かな位置を占めているのだなと……。その「しづかな月」も、間もなく過ぎていく。やがて、石蕗も枯れてしまう。『合本俳句歳時記第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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