December 152000
賀状書くけふもあしたも逢ふ人に
藤沢樹村
賀状の相手は、職場の上司か同僚だろう。毎日顔をあわせる人には、なるほど、書きにくい。でも、確実な元日配達を望むとすれば、どうしてもこういう羽目になってしまう。サラリーマン時代に覚えがあるが、年末休暇に入ってから、つい愚図愚図としているうちに、元日になってしまつた。で、上司から丁重な賀状が届いた。嬉しいというよりも、愕然としましたね。ほとんど落ち込んだと言っても過言ではありませんでした。仕方がないので、早速うちましたよ、年賀電報を。身から出た錆とはいいながら、そういうことがあるので、揚句のように、へんてこりんな気持ちで書く人は多いのでしょう。上手な句かどうかは別にして、これもまたこの時期の庶民の哀感の一つ……。しかし、だからといって、このようなシチュエーションで書く年賀状も、単に「虚礼」とは言い捨てられないところがある。誰からであれ、元日に受け取る賀状には、やはりそれなりの喜びがあるからだ。よほどのへそ曲がりな人でなければ、「去年書いた」ことは明白でも、こだわったりはしないだろう。賀状は元日に書くという信念の持ち主も知っているけれど、私は元日に着いてくれたほうが、よほど嬉しい。「礼」の半分以上は「型」だと思う。「型」に「実」を上手にはめ込むのが礼者の心得ではあるまいか。なんだか、俳句に似ている気がします。さあ、大変だ。そろそろ「けふもあしたも逢ふ人に」も、書きはじめなければばなるまい。「けふもあしたも」逢わない週末がチャンスだ。『新日本大歳事記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)
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