December 162000
目をかるくつむりてゐたる風邪の神
今井杏太郎
いま風邪を引いている人には、おそらく腹立たしい句だろうが、それだけ真に迫った句だ。「風神」は有名だが、「風邪の神」とは初耳だ。でも「貧乏神」がいるくらいだから、「風邪の神」だっていてもよさそうである。いるとすれば、様子はたしかにこのようだろう。瞑目でもなく半眼でもなく、軽く目を閉じている。うっすらと笑みすら浮かべていそうな余裕のある態度で、さて次は誰にとりついてやろうかと、ほんの少し思案している。決して深く考えてなどいないわけで、いつもほとんど悪戯っぽい思いつきの決断をくだすのである。だから、だれかれ構わず気楽にひょいととりついてくる。我々にとっては迷惑至極、困った神様だ。……なんてことをあまり書いていると、今夜あたりとりつかれるかもしれない(笑)が、とにかく上手な句です。いや、上手すぎて「にくい」句と言うべきか。このように、空想の世界を「さもありなん」と伝えるのはなかなかに難しい。が、作者はそのあたりを楽々とクリアーして、いとも簡単そうに詠んでみせている。この肩の力の抜け具合が、なんとも魅力的だ。今後も、要チェックの俳人である。この句に引きずられて、いろいろな神の様子を想像するのも楽しいだろう。それこそ「貧乏神」の私のイメージは、痩身でよれよれしてはいても、目だけはカッと見開いていて冷たい光りを放っていそうだ。しかも居候好きな気質だからして、一度上がりこんできたら、なかなか出ていってくれない。逆に「福の神」はかなり薄情で、さっさと出ていってしまう。『海鳴り星』(2000)所収。(清水哲男)
January 222006
湯ざめとは松尾和子の歌のやう
今井杏太郎
季語は「湯ざめ」で冬。はっはっは、こりゃいいや。たしかに、おっしやるとおりです。ちょっと他の歌手でも考えてみたけれど、思い当たらなかった。やはり「松尾和子」が最適だ。句は即興かもしれないが、こういうことは日頃から思ってないと、咄嗟には出てこないものだ。作者は松尾和子全盛期のころから、既に「湯ざめ」を感じていたにちがいない。ムード歌謡と言われた。フランク永井とのデュエット「東京ナイトクラブ」や和田弘とマヒナスターズとの「誰よりも君を愛す」あたりが、代表作だろう。「お座敷小唄」を加えてもいいかな。口先で歌うというのではないが、歌詞内容にさほど思い入れを込めずに歌うのが特長だった。歌詞がどうであれ、行き着く先は甘美で生活臭のない愛の世界と決め込んで、そこに向けて予定調和的に歌い進めるのだから、歌詞との間に妙な感覚的ギャップが生まれてくる。そこがムーディなのであり魅力的なのだが、しかし、このギャップにこだわれば、どこまでいっても中途半端で落ち着かない世界が残されてしまう。まさに「湯ざめ」と同じことで、聴く側の熱が上昇しないままに歌が終わってしまうのだから、なんとなく風邪気味のような心持ちになったりするわけだ。松尾和子が57歳の若さで亡くなったのは1992年、自宅の階段からの転落が、数時間後に死を招いた。その二年ほど前、一度だけ新宿のクラブでステージを見たことがある。「俳句研究」(2006年2月号)所載。(清水哲男)
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