仕事も絡んでいるが週後半は忘年会の三「レンチャン」。麻雀用語なり。麻雀とは数年ご無沙汰だ。




2000ソスN12ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 19122000

 床屋出てさてこれからの師走かな

                           辻貨物船

し詰まってくると床屋も混みあうので、正月にむさくるしい感じにならない程度に、見計らって早めに床屋に行く。いまは男も美容院に行く時代なので、いささか乱立気味でもあり、こういう思案もなくなったかもしれない。私はもう、三十年も床屋とは無縁だ。家内の世話になっているので、床屋事情には、すっかりうとくなっている。昔は、町内に床屋の数は少なかった(いまでも「床屋(理髪店)」と限定すれば、同じことだろう)。したがって、どうしても頃合いを計らざるを得なかった。下手をすると、髪ぼうぼうのままに、正月を迎える羽目になる。作者は首尾よく、計算通りに散髪を完了し、すがすがしい気持ちで床屋を出た。すがすがしい気分だから、師走の町を歩きながら「さてこれから」だなと、気合いも入る。「さてこれから」何をしようか、やるべきことは山積しているような、していないような。とにかく「さてこれから」なのだ。この「さて」という気持ちが、師走特有の庶民の気分を代表している。師走だからといって、べつにジタバタしなくてもよいようなものだが、「とにかく」そう思い決めることで年の瀬気分を味わいたいというのが、作者のような下町っ子の心意気である。「師走」も「正月」も、ひとりで迎えるのではない。町内みんなで迎えてこそ、意味がある。だから、ちゃんと床屋にも行く。そういうことだ。「さて」が、実に巧く利いている。年が明ければ、貨物船(辻征夫)逝って一年。辻よ、そっちにも床屋はあるか。あれば、そろそろ行かなきゃね。そこで「さて」、床屋を出た君は何をするのだろう。『貨物船句集』(書肆山田・2001年1月刊行予定)所収。(清水哲男)


December 18122000

 流れ行く大根の葉の早さかな

                           高浜虚子

れぞ、俳句。中学校の教室で、そう習った。習ったとき、我が家は生活用水として近所の小川を使っていたので、実感として理解はできた。が、一方ではあまりにも当たり前すぎて、句のよさはわからなかった。よさは、流れていく大根の葉だけを詠むことで、周辺の情景を彷彿させるところだろう。昭和三年(1928)の九品仏吟行で得た句というが、このような情景はどこかの地に特有なものではなく、全国的に普通に見られた。すなわち、往時の多くの日本人には、思い当たる情景だった。どのような表現でもそうだけれど、とくに短い俳句では、このように普遍性の高い生活環境や生活条件に下駄をあずけざるをえないところがある。言外の意味を、普遍性ないしは常識性に依存するのだ。そんなことを考えると、俳句の寿命は短い。世の中が変わると、昔の句は滅びてしまう。でも、私はそれでよしと思う。永遠の名作を望むよりも、束の間の命を盛んに燃やしたほうが、潔くてよろしい。おそらく、現代の若者には、この句の味は本当にはわかるまい。あまりにも、日常とは遠い世界の「大根の葉」であり、その「流れ行く早さ」であるからだ。あまりにも、当たり前の事象ではないからだ。まだ教科書に載っているかどうかは知らないが、載っていたとしても、教師には教えようがないだろう。俳句は、読み捨て。教えるとすれば、そういうことしかない。揚句に共感できる人も、みな同じ思いだろう。くどいようだが、それでよいのである。この句は、もはや「これぞ、俳句」のサンプルではなくなりかけてきたということ。(清水哲男)


December 17122000

 炭の塵きらきら上がる炭を挽く

                           川崎展宏

く晴れた日。のこぎりで炭を挽いている。「塵(ちり)」が「きらきら」と舞い上がっている。挽く音までが聞こえてくるようだし、炭の匂いも漂ってくるようだ。言いえて妙。ただ一般論になるが、この光景を美しいと思うかどうかは、読者の立場によるだろう。夏場に氷を配達する人が、道端で氷を挽いているのと同じこと。通りかかった人には、とても涼しげな情景に写るのだけれど、挽いている当人にしてみれば、それどころではない。とてもじゃないが「やってらんねえ」のである。他意はないけれど、労働の現場を詠んだ句には、傍観者の立場からのそれが多い。それはそれでよいとして、詠まれる側からすると、もう少し何とかならないのかなと歯がゆい思いが残ることもある。いつもながらの思い出話になるが、昔の我が家でも炭を焼いていた。自給自足ゆえの、やむを得ぬ所業だった。子供でも、炭を挽いて炭俵につめることくらいはできる。「塵」を浴びながら挽いていると、身体中がこそばゆくなり、もちろん手や顔などは真っ黒になってしまう。べつに苦しい仕事ではないのだが、炭の粉を吸いすぎた胸は、妙に息苦しい感じになった。そんな体験のある子供や大人が、この句を読む。もちろん、感想はまちまちだろう。その「まちまち」のなかで、一点共通するのは、作者が炭を挽く現場の人ではないなという「直感」だ。それはそれで作者には関わり知らぬことながら、働く現場を詠むのが難しいのは、確かなことである。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)




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