諸兄姉より御賀状をいただきました。ありがとうございました。「増殖」をもって報いるのみです。




2001ソスN1ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0212001

 御降りや今年いかにと義父の問ふ

                           守屋明俊

父が存命のころは、例年家族で大阪まで挨拶に出かけた。挨拶の座で、必ず「今年いかに」と問われた。それも、実にさりげない調子で……。しかし、さりげないだけに、聞かれたほうはドキリとする。なにせ世に言う正業に就いていない身だからして、問われてもきちんとは答えられないからだ。「まあ、なんとか」などと、曖昧な返事をするしかなかった。義父の質問は、もとより娘の身を案じてのことである。もっと景気のいい返事を聞いて安堵したかったのだろうが、一度もそのようには答えられなかった。私も「義父」と呼ばれる立場になってより、娘婿に会うたびに問いたくなる。ただし相手はドイツ人だから、さりげなくも何も、どう尋ねてよいのかがわからない。そんなドイツ語は、学校で教えてくれなかったからなア(笑)。この正月はあちこちの家で、正業に就いている男たちにも、さりげなくも鋭い質問が投げかけられているのではあるまいか。季語は「御降り(おさがり)」。元来は元日に降る雨を言ったようだが、いまでは三が日の雨降りを言う。雪にも使う場合がある。「御降りのかそけさよ父と酒飲めば」(相生垣瓜人)。こちらは、実父だ。父親と呑んではいるけれど、会話ははずんでいない。初春の雨の音が、かそけく聞こえてくるばかり。父と息子との関係は、たいていがこのようなものだろう。そこに、味わいもあるのだが。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


January 0112001

 二十世紀なり列国に御慶申す也

                           尾崎紅葉

ょうど百年前(明治34年)の元日の句。紅葉33歳。俳句で「列国」に挨拶を送るところなど、往時の若き明治人の気概のありようがうかがえる。意気軒高とは、このことだ。「讀賣新聞」で有名な『金色夜叉』の筆を起こしたのが、作句の三年前。結局未完に終わっているが、金の力で世間を牛耳ろうとした主人公の考え方は、そのまま明治帝国主義の目指した道でもあった。「列国」の一つが愛する女を奪った富山唯継だとすれば、復讐の鬼と化す間寛一は、さしずめ明治国家だろう。こんな言い方もあながち冗談ではないなと、揚句をはじめて読んだときに思った。「列国」という表現そのものが、すでに「制覇」の意識を内包している。紅葉が国家主義者であったとは言わないが、明治の知識人の多くが、無意識にもせよ、いわば国家意識高揚の一翼を担っていたとは言ってもよい気がする。国家の威信が感覚的にも我が身に乗り移っていなければ、こんなことは言えるはずもない。その意味で、大衆性を持った紅葉文学は、社会的に役に立つそれなのであった。以来、百年。「列国」も死語同然になり、どんな文学も社会の実際の役には立たなくなった。二十一世紀の今日元日に目覚めて、揚句のごとき心境になる日本人は、おそらく一人もいないだろう。たった百年のうちに、日本も世界も大きく変わった。これからも、どんどん変化していくだろう。変わりつつ、否応なく国家や国家意識などは解体されていくにちがいない。新世紀に大きな見どころがあるとすれば、このあたりではないだろうか。私たちには、まだ揚句の言わんとすることはわかる。しかし、あと百年もすればわからなくなること必定だろう。『俳句の本』(2000・朝日出版社)所載。(清水哲男)


December 31122000

 今思へば皆遠火事のごとくなり

                           能村登四郎

語は「火事」で冬。本年の掉尾を飾る句にしては寂し過ぎるが、あえて選んだ。といって、いまの私が作者の心境に至っているわけではない。新年早々に辻征夫と別れ、師走に加藤温子と別れた。仲良しの詩の仲間を、一挙に二人も奪われた。それもまだ十分に若い命を、だ。めったに泣かない私が、ひとりかくれて声を押し殺して泣いた。「ばかやろう」と大声で叫びたい気持ちだった。だから「遠火事」どころではなく、まだ心にはぶすぶすとくすぶるものがある。まだ、生々しい体験として生きている。揚句がそんな私に寂しいのは、やがていつの日か、今年起きたことも、おそらくは「遠火事」のように思い出されることになるだろうからだ。作者は、このときに七十代の後半である。よほどの体験でも、時の経つにつれて実感が失われていく。どうにもならぬ、人の常だ。戦地で地獄を見てきた人すらも、どこか「遠火事」のように語るようになってきた。私にしても、たとえば戦後の飢えの体験などは、どちらかといえば「遠火事」に近くなってきたろうか。あれほど苦しかったのに、たまのご馳走であった一個の生卵を弟と分ける際にいつも喧嘩になったのに、そういうことも忘れかけている。ひるがえって作者の心境に思いを馳せると、私などよりも、もっともっと寂しいだろうと思う。体験した喜怒哀楽の何もかもが「遠火事」のようにしか浮かんでこない心には、ただ荒涼たる風が吹きすぎているのみだろうからである。今年も暮れる。来る年が、みなさまにとってよい年でありますように。『菊塵』(1988)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます