景品をつけてまで新成人を掻き集めることはない。「新票田」をねらう政治家たちの浅ましさよ。




2001ソスN1ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0812001

 読初の葩餅の由来かな

                           大橋敦子

来の「読初(よみぞめ)」は、新年にはじめて朗々と音読することを言った。男は漢籍、女は草紙などを読み上げたという。このデンからすると、私の場合は元日正午のニュース原稿読みとなる。戦後もしばらくの間は音読の習慣が残っており、毎朝学校に行く前の子供らの声があちこちから聞こえてきたものだが、いつしか廃れてしまった。いまのように黙読が主流の時代は、存外と短いのである。音読の教育的効果には高いものがあり、意味などわからなくとも、まずは音で身体に文字や文章を覚えこませる。そうやって身に付けた言葉は、いつの日か、意味を伴って開花する。例えて言えば、子供の頃に覚えた大人の唄の意味が、ある日突然に了解できるのと同じことだ。たぶん揚句では「黙読」だろうが、これを昔ながらの音読ととらえてみるのも一興だ。「葩餅(はなびらもち)」は正月のものだし、作者はさしせまっての必要があって由来を調べたのだろう。ならば、これを「読初」にしてしまおうと、家人の耳を気にしながら小声で読んでいる。あるいは、逆に家人か会合での誰かに読み聞かせた後で、「あっ、これが読初になった」と気がついたのかもしれない。。音読と解すれば、そんなほほ笑ましい情景が浮かんでくるので、私は強引に音読ととっておきたい気分だ。なお「葩餅」とは「餅または団子の一種で花弁の形をしたもの。特に、薄い円形の求肥(ぎゅうひ)を二つ折りにした間に、牛蒡(ごぼう)の蜜漬、白味噌、小豆あずきの汁で染めた菱形の求肥を挟んだものが著名で、茶道の初釜(はつがま)に用いる」と『広辞苑』にある。『葩餅』(1988)所収。(清水哲男)


January 0712001

 竹馬やいろはにほへとちりぢりに

                           久保田万太郎

いていの歳時記の「竹馬」の項に載っている句。小学時代以来の親友の篠原助一君(下関在住)は、会うたびに「なんちゅうても、テッちゃんとは竹馬(ちくば)の友じゃけん」と言う。聞くたびに、いい言葉だなあと思う。もはや死語に近いかもしれぬ「竹馬の友」が、私たちの間では、ちゃんと生きている。よく遊んだね。そこらへんにいくらでも竹は生えていたから、見繕って切り倒してきては、竹馬に仕立て上げた。乗って歩いているときの、急に背が高くなった感じはなんとも言えない。たしかアンドレ・ブルトンも言ってたけれど、目の高さが変わると世界観も変わる。子供なので世界観は大仰だとしても、この世を睥睨(へいげい)しているような心地よさがあった。揚句の「いろはにほへと」には、三つの含意があると思う。一つは竹馬歩きのおぼつかなさを、初学に例えて「いろはにほへと」。二つ目は、文字通りに「いろはにほへと」と一緒に習った仲間たちとの同世代意識。三番目は、成人したあかつきを示す「色は匂えど」である。それらが、いまはすべて「ちりぢりに」なってしまった。子供のころ、まだまだ遊んでいたいのに夕暮れが来て、竹馬遊びの仲間たちがそれぞれの家に「ちりぢりに」帰っていったように……。ここで「ちりぢりに」は、もちろん「ちりぬるを」を受けている。山本健吉は「意味よりも情緒に訴える句」と書いたが、その通りかもしれず、こんな具合に分解して読むよりも、なんとなくぼおっと受け止めておいたほうがよいような気もする。とにかく、なんだか懐かしさに浸される句だ。(清水哲男)


January 0612001

 女手の如き税吏の賀状来ぬ

                           ねじめ正也

者は商店主だったから、税吏(ぜいり)とは不倶戴天の間柄(笑)だ。いつも泣かされているその男から、どういう風の吹き回しか、年賀状が舞い込んだ。そのことだけでもドキリとするが、どう見ても「女手(女性の筆跡)」なのが、彼の日ごろのイメージとは異なるので解せない。カミさんに書かせたのか、それとも自分で書いたのか。見つめながら、寸時首をかしげた。結論は「女手の如き」となって、彼の自筆だというところに落ち着いた。彼本来の性格も、これで何となく読めた気がする。今後は、応接の仕方を変えなければ……。正月は、税金の申告に間近な時季なので、リアリティ十分に読める句だ。だれだって、税金は安いほうがよい。大手企業とは違い、商店の商い高など知れているから、多く税吏との確執は必要経費をめぐってのそれとなるだろう。商売ごとに必要経費の実質は異なるので、税吏との共通の理解はなかなか成立しないものなのだ。税吏は申告の時期を控えて、話をスムーズにすべく賀状を出したのだろうが、さて、この後に起きたはずの二人のやり取りは、いかなることにあいなったのか。いずれにしても成り行きは「自転車の税の督促日短か」と追い込まれ、春先には「蝿生る納税の紙幣揃へをり」となっていく。商人は、一日たりともゼニカネのことを思案しないではいられない身空なのだ。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)




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