7日より検索エンジンが動きませんでしたが、9日夕刻より復活しました。機械も正月休みでした。




2001ソスN1ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1012001

 冬眠すわれら千の眼球売り払い

                           中谷寛章

作。「眼球」を「め」と読ませている。「目」では駄目なのだ。すなわち物質としての目玉まで売り払って、覚悟を決めた「冬眠」であると宣言している。もはや「われら」は、二度と目覚めることはないだろうと。ここで「われら」とは、具体的な誰かれやグループを指すのではない。強いて言えば、現在にいたるまでの「われ」が理想や希望を共有したと信ずる多くの(「千」の)人々である。そこには、未知の人も含まれている。したがって、せんじ詰めれば、この「われら」は「われ」にほかならないだろう。「われ」のなかの「われら」意識は、ここで壮絶な孤独感を呼び覚ましている。中谷君は、大学の後輩だった。当時は波多野爽波のところにいたようだが、そういう話は一度も出なかった。社会性の濃い話が中心で、常に自己否定に立った物言いは、息苦しいほどだった。共産同赤軍派の工作員と目され公安警察につきまとわれたことは後で知ったが、何事につけ誠実な男だった。いつも「われ」ひとりきりで、ぎりぎりと苦しんでいたのだ。それが若くして病魔に冒され、揚句のような究極の自己否定にいたらざるを得なかった中谷君の心情を思うと、いまだに慰めようもない。句には、明らかに死の予感がある。結婚して一子をあげた(1973年11月)のも束の間、三十一歳で急逝(同年12月16日)してしまった。彼は、赤ちゃんの顔を見られたろうか……。京大俳句会の先輩だった大串章に「悼 中谷寛章」と前書きした「ガードくぐる告別式の寒さのまま」がある。『中谷寛章遺稿集・眩さへの挑戦』(1975・序章社)所収。(清水哲男)


January 0912001

 猟夫伏せ一羽より目を離さざる

                           後藤雅夫

語は「猟夫(さつお)」で冬、多くの歳時記で「狩」の項目に分類されている。ねらっているのは、雉などの山鳥か、鴨などの水鳥だろうか。精神を集中し、伏せてねらうハンターの眼光炯々たる姿が彷彿としてくる。私のささやかな空気銃体験からしても、ねらいは「一羽」に定めないと必ず失敗する。あれもこれもでは、絶対に撃ち損ずる。猟の世界は、まさに「二兎を追う者は一兎をも得ず」なのだ。農村にいたころは、農閑期となる冬に猟をする男たちが多かった。犬を連れて、山奥に入っていく姿をよく見かけた。たまさか聞こえてくる猟銃音に、どうだったかと期待したものだ。獲物はたいていが雉か兎で、帰ってきた男たちが火を焚き、それらを手早く捌いていく様子に見ほれていた。ところで揚句とは逆に、ねらわれる鳥の様子を詠んだのが、飯田蛇笏の「みだるるや箙のそらの雪の雁」である。「箙(えびら)」は、矢を入れるための容器。空飛ぶ雁には地上の猟師たちが持つ「箙」の無数の矢数が見えており、いまにもそれらが飛んでくる気配に恐怖を感じているのであり、したがって飛列も大いに乱れることになる。雁からすれば、恐怖感で地上の「箙」しか眼中にはないだろうから、作者は「箙のそら」と単純化した。力強くも、雁の哀れを描いて見事と言うほかはない。このとき、蛇笏二十七歳。若くして、完成された句界を持っていたことがわかる。『冒険』(2000)所収。(清水哲男)


January 0812001

 読初の葩餅の由来かな

                           大橋敦子

来の「読初(よみぞめ)」は、新年にはじめて朗々と音読することを言った。男は漢籍、女は草紙などを読み上げたという。このデンからすると、私の場合は元日正午のニュース原稿読みとなる。戦後もしばらくの間は音読の習慣が残っており、毎朝学校に行く前の子供らの声があちこちから聞こえてきたものだが、いつしか廃れてしまった。いまのように黙読が主流の時代は、存外と短いのである。音読の教育的効果には高いものがあり、意味などわからなくとも、まずは音で身体に文字や文章を覚えこませる。そうやって身に付けた言葉は、いつの日か、意味を伴って開花する。例えて言えば、子供の頃に覚えた大人の唄の意味が、ある日突然に了解できるのと同じことだ。たぶん揚句では「黙読」だろうが、これを昔ながらの音読ととらえてみるのも一興だ。「葩餅(はなびらもち)」は正月のものだし、作者はさしせまっての必要があって由来を調べたのだろう。ならば、これを「読初」にしてしまおうと、家人の耳を気にしながら小声で読んでいる。あるいは、逆に家人か会合での誰かに読み聞かせた後で、「あっ、これが読初になった」と気がついたのかもしれない。。音読と解すれば、そんなほほ笑ましい情景が浮かんでくるので、私は強引に音読ととっておきたい気分だ。なお「葩餅」とは「餅または団子の一種で花弁の形をしたもの。特に、薄い円形の求肥(ぎゅうひ)を二つ折りにした間に、牛蒡(ごぼう)の蜜漬、白味噌、小豆あずきの汁で染めた菱形の求肥を挟んだものが著名で、茶道の初釜(はつがま)に用いる」と『広辞苑』にある。『葩餅』(1988)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます