小正月の風習も廃れた。廃れないのが新年会で週末には三連続の予定。それを楽しみに今日も働く。




2001ソスN1ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1512001

 雪降りつもる電話魔は寝ている

                           辻貨物船

夜、しんしんと冷え込んできた。表は雪だ。雪国育ちとは違って、作者のような東京の下町っ子は、たまに積もるほどの雪が降ると興奮する。嬉しくなる。といって、子供のようにはしゃぐわけではない。はしゃぎたい気持ちを抑えて、静かに瞑目するように雪の気配をいつまでも楽しむのだ。当然、お銚子一本くらいはついているだろう。この静かな雰囲気をぶち壊す者がいるとすれば、娘だろうか、とにかく話しだしたら止まらない「電話魔」だ。日ごろでも、うるさくてかなわない。そのことにふっと思いがいたり、幸いにも「寝ている」なと安堵している。雪の夜の静寂を詠んだ句は数あれど、こんなに奇抜な発想によるものは見たことがない。一読吹き出したが、たしかに言い得て妙だ。そしてこの妙は、単に雪の夜の静謐を表現しているばかりではなく、寝ている「電話魔」を含めての家族の平穏なありようにまで届いている。そこが、揚句の魅力なのである。詩人・辻征夫の暖かくも鋭い感受性の所産だ。ところで雪の夜の静寂を描いた詩では、三好達治の「雪」が有名だ。「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/ 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」。数年前にある大学の教室で解釈させたら、かなりの数の学生が「眠らせ」を「殺して」と説明したそうだ。新聞で読んだ。吹き出すよりも、「電話魔」世代の荒涼たる言語感覚をいたましく思った。『貨物船句集』(2001)所収。(清水哲男)


January 1412001

 寒燈といへどラジオを点すのみ

                           永井龍男

戦間近の句。夜間、敵機来襲の警戒警報か空襲警報が発令されたのだろう。灯火管制下なので、家の中の電灯はみんな消した。上空の敵に、灯火をターゲットにさせないためだ。だから、暗闇のなかで小さくぼおっと点っているのは、ラジオの目盛りの窓だけである。寒さも寒し。それでなくとも冬の燈は侘びしいのに、ラジオの燈だけとは実に侘びしい。いつ爆弾が降ってくるかもしれぬ状況なのだが、こんな思いもわいてくるのは、空襲慣れのせいだと言える。おそろしいもので、人は命の危険にも、あまりにさらされつづけると慣れてしまう。最初のパニック状態を、いつしか忘れてしまうのだ。ラジオだけは消さなかったのは、むろん情報を得るためである。後にほとんどが嘘八百の情報だったと知ることになるのだが、当時の人々は、情報をラジオに頼るしか手段がなかった(いまの大災害時でも、似たようなものだけれど……)。だから、どこの家でも一日中ラジオはつけっぱなしだった。聴取率は、限りなく百パーセントに近かったろう。庭先の防空壕に避難するときは、室内からコードを延ばせるだけ延ばし、ボリュウムをいっぱいに上げて耳を澄ませた。真っ暗やみの町内に、警報のサイレンとラジオの音だけが響いていた。そしていよいよ敵機来襲ともなれば、上空には煌々とサーチライトが交錯し、ときどき周辺に照明弾が落とされて、真昼のように明るくなる。爆弾(ほとんどが焼夷弾)が投下されはじめると、民家からあがる火の手も凄いが、伴う煙のほうがもっと凄くて苦しい。生まれてはじめて「死ぬ」と思ったのは、そのとき、五歳のときだった。そんな「日常」のなかから偶然にも生き残り、早朝の寒燈の下で、こんなことを書いている不思議。『文壇句会今昔』(1972)所収。(清水哲男)


January 1312001

 戸口より日暮が見えて雪の国

                           櫛原希伊子

の演出もないから、外連味(けれんみ)もない。こういう句もいい。雪国というほどではなかったが、ときに休校になるほどは降った故郷を思い出す。何も考えずに、戸口からぼおっと暮れてゆく雪景色を見ていた。土間の冷えは厳しいが、それよりも周辺が暗くなりはじめ、やがて風景が真っ白な幻想の世界一色へと変わっていく様子に魅かれていた。奥の囲炉裏で盛んにぱちぱちと火のはねている音も、懐かしい。だいたいが「夕暮れ」好きで、春も「あけぼの」ではなくて「夕暮れ」だ。性格がたそがれているのかもしれないけれど、たぶん「夕暮れ」からは、義務としての何かをしなくてもよい時間になるからなのだろう。とくに子供の頃は、夜になると、何もすることがなかった。テレビもラジオも、ついでに宿題もなかったので、ご飯がすんだら寝るだけだった。ランプ生活ゆえ、本も読めない。布団にもぐり込んでから、いろんなことを空想しているうちに、眠りに落ちてしまった。考えてみれば、「夕暮れ」以降の私は、鳥や獣とほとんど同じ生活をしていたわけだ。そうした無為の時間を引き寄せる合図が、長い間、私の「夕暮れ」だったので、いつしか身体に染みついたようである。大人になったいまも、夜に抗して何かをする気にはならないままだ。原稿も、夜には書かない。だから「夕暮れ」になると、一日はおしまいだ。大げさに言えば、その時間で社会とは切れてしまう。そんな気になる。ずっと以前に、その名も「夕暮れ族」なる売春組織が摘発されたことがある。新聞で読んで、ネーミングだけは悪くないなと思った。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます