河野仁昭『戦後京都の詩人たち』(「すてっぷ」発行所)を読む。懐かしき "つわもの" たちよ。




2001ソスN1ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1912001

 罠ありと狸に読めぬ札吊りし

                           村上杏史

語は「狸」で冬。狐も冬だが、冬期は山中に餌が乏しくなり、里へ降りてきて人と接触することが多いからだろうか。私の住む多摩地域では、いまでは四季を問わずにひょっこり出現し、新聞ダネになったりする。狸にかぎらない。現代の山は食料難だから、我が故郷では野猿が跳梁し難儀していると聞く。さて、揚句はそのまんま句だけれど、なんとなく可笑しい。人を化かすのは得意な狸だが、哀しいかな文字が読めないのだ。狸は通り道も決まっているそうで、罠も仕掛けやすい。このあたりも間抜けといえば間抜けで、古来言われてきた狸の愛嬌に通じる。捕獲した狸は、毛皮はコートなどの防寒具に、肉は食用(狸汁)とし、毛は毛筆などに加工された。狸毛の筆は柔らかで、まことに書きやすい。狸の句といえば、漱石に「枯野原汽車に化けたる狸あり」の謎のような一句がある。アニメ『となりのトトロ』の化け猫バスじゃあるまいし、いかな狸でも汽車には化けられないだろう。そう思ってきたが、柴田宵曲『俳諧博物誌』によれば、狸はいつの時代にも新事物の研究に熱心で、汽車に化けた狸の話は全国的にあったそうだ。漱石の突飛な発想ではないらしい。ただし、姿を汽車に変えたのではなくて、音を真似たというのが宵曲の推理である。狸の腹鼓というくらいで、狸は音作りにかけては名手なのである。この推理を得て漱石句を読むと、なるほど「枯野原」を轟々と突っ走る見えない汽車の不気味さが伝わってくる。ただ残念なことは、狸の新事物研究の成果も「汽車」止まりで、その後の新しいものに化けた話は聞かない。どんなに秘術を尽くしても人が驚かなくなったので、つまらなくなっちゃったのだろうか。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


January 1812001

 湯婆などむかしむかしを売る小店

                           杏田郎平

婆は「ゆたんぽ」、古くは「たんぽ」とも読んだ。若い読者は見たこともないだろう。金属製の容器に湯を注ぎ、そのままでは熱いのでタオルなどでくるみ、寝床の足元に入れて使う保温器の一種だ。まろやかな暖かさが心地よい。揚句はいつごろの作句か不明だが、そんな忘れられた生活用品をいまだに商っている店をみつけて、思わず「ほお」と足を止めた。表には竹箒や物干し竿「など」が置いてあり、それこそ昔にはどこにでもあった雑貨屋(よろずや)である。「むかしむかしを売る」と言ったところに、作者の懐旧の念がくっきりと表れている。湯婆「など」を見ながら、それらを使った日々のことを懐かしんでいる。ところで、なぜ「湯婆」と表記するのだろうか。「湯」はわかるが「婆」が解せない。たいていの歳時記には『和漢三才図会』から引用しての説明がある。曰く「……大さ枕の如くにして小き口有り。湯を盛りて褥傍に置き、以て腰脚を暖む。因りて婆の名を得たり」と。だから(因りて)「婆」なのだということなのだが、「むかしむかし」の人相手ならばともかく、現代人には「因りて」と言われてもわかりっこない。むろん、私もだ。長い間知りたいと思っていたが、どの歳時記にも、この説明しか出てこない。これだけでは、説明にならない。しかし実は昨日になって、ようやく謎が解けた。昨秋上下二巻の岩波文庫として復刻された『増補俳諧歳時記栞草』(堀切実校注)のおかげである。この本は、かの曲亭馬琴が編纂し藍亭青藍が増補して1851年(嘉永四年)に刊行、長く「季寄せ」の最高峰とされてきた。揚句を書くについて、念のためにとめくってみたら、やはり本文には『和漢三才図会』の説明しかなかった。がっかりしながら、何気なく虫眼鏡でしか見えないような下欄の校注に目が行って、はっとした。あった。「婆 中国の俗語で婆(ボー)は女房・妻の意」と出ていたのだ。合わせて、次なる戯詩も。「小姫煖足臥、或能起心兵、千金買脚婆、夜夜睡天明」。すなわち「婆」とは、「ゆたんぽ」が妻と同衾する温みを思わせることからの命名なのであった。夏に使う「竹夫人」と、発想は同根だった。その意味では品川鈴子の「亡き夫に代はる温みの湯婆よ」が、よく「湯婆」の本意に添っている。「夫」は「つま」。この人は、ちゃんと「婆」の意味を知って詠んでいる。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


January 1712001

 味噌汁におとすいやしさ寒卵

                           草間時彦

嘲だろう。他人の「いやしさ」を言ったのでは、それこそ句が卑しくなる。句品が落ちる。おそらくは、旅館での朝餉である。生卵はつきものだけれど、作者はそんなに好きではないのだろう。飯にかけて食べる気などは、さらさらない。かといって、残すのももったいない。というよりも、この卵も宿泊費の一部だと思うと、食べないのが癪なのだ。そこで生の状態を避けるべく、味噌汁に割って落とした。途端に、なんたる貧乏人根性かと、なんだか自分の「いやしさ」そのものを落としたような気がした……。食べる前から、後味の悪いことよ。鶏卵は、寒の内がもっとも安価だ。それを知っていての、作者の自嘲なのである。鶏の産卵期にあたるからで、昔から栄養補給のためには、庶民にとってありがたい食材だった。だから、盛んに食べてきた。栄養を全部吸い取れるようにと、生のままで飲むことが多かった。したがって俳句で「寒卵」と特別視するのは、べつに寒卵の姿に特別な情緒などがあるからではなく、多く用いられるという実用面からの発想だ。ところで、私の「いやしさ」は酒席で出る。お開きになって立ち上がりながら、未練がましくも、グラスに残っているビールをちょっとだけ飲まずにはいられない。『朝粥』(1979)所収。(清水哲男)

[紹介]上記をアップしてすぐに、当方の掲示板に次のような感想が寄せられました。「歳時記に『寒の卵は栄養分に富み・・・』とあるのを読みました。ですので、なんだか壮年を過ぎようとする男の人のあらがいと、戦中戦後の卵が貴重だった時代を経てきた己が身とをまとめて、習い性を、ちょっと露悪的に『いやしさ』と言ってみたような句の気がしました」(とびお)。考えてみて、とびおさんの解釈のほうが自然だと思いました。私のは牽強付会に過ぎますね。ま、自戒記念にそのままにしてはおきますが(苦笑)。とびおさん、ありがとうございました。




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