放送の仕事で最も難しいのは、いかに機嫌よく第一声を出すかだ。放送前には、議論口論など禁物。




2001ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012001

 冬帽子かむりて勝負つきにけり

                           大串 章

の「勝負」かは、わからない。将棋や囲碁の類かもしれないが、いわゆる勝負事とは別の次元で読んでみる。精神的な勝負。口角泡を飛ばしての言い争いというのでもなく、もっと静かで深い心理的な勝負だ。ひょっとすると、相手は勝負とも感じていないかもしれぬ微妙な神経戦……。とにかく、作者は表に出るべく帽子をかむった。独りになりたかった。負けたのだ。それも、勝負がついたから帽子をかむったのではない。帽子をかむったことで、おのずから勝負がついたことになった。「もう帰るのか」「うん、ちょっと……」。そんな案配である。そしてこのとき「冬帽子」の「冬」には、必然性がある。作者の心情の冷えを表現しているわけで、かむると暖かい帽子ゆえに、かえって冷えが身にしみるのだ。この後で、寒い表に出た作者はどうしたろうか。揚句には、そんなことまでを思わせる力がある。見かけは何の変哲もないような句だが、なかなかどうして鋭いものだ。ところで、俗に「シャッポを脱ぐ」と言う。完敗を認める比喩として使われるが、こちらは素直で明るい敗北だ。相手の能力に対する驚愕と敬意とが込められている。どう取り組んでみても、とてもかなわない相手なのである。逆に、揚句の敗北は暗く淋しくみじめだ。帽子を脱ぐとかむるの違いで、このようにくっきりと明暗のわかれるところも面白いと思ったと、これはもちろん蛇足なり。『天風』(1999)所収。(清水哲男)


January 2912001

 受験生呼びあひて坂下りゆく

                           廣瀬直人

者は、高校の国語科教師だった。入学試験が無事に終わって、ほっとした気分で職員室から眺めた情景だ。三々五々校舎から出てきた受験生たちが、友だちを呼びあいながら、坂をくだって帰っていく。例年のことだが、作者はその一人ひとりの心細い胸の内を察して、みんなに合格してほしいという気持ちになっている。ああやって友だちを呼びあうことで、精いっぱい心細さをふっ切って帰っていく子供たちのなかで、四月から毎日この坂をのぼってくる子もいれば、そうでない子もいる。ちらりとそんな思いも去来して、受験生たちを見送っている。「坂下りゆく」は実景そのままではあるけれど、ついにこの坂とは無縁になるであろう受験生のほうに気持ちが傾いている表現でもあるだろう。人の情に溢れた句だ。入学試験制度の是非はいつの時代にも問われ、いまも論議はつづいている。しかし、どのような論議や改変が行われようとも、受験生にしてみれば、またその家族にしてみれば、論議や改変のプロセスのなかにある一つの時代的試行が「絶対の壁」となる。こうしてくれ、ああしてほしいなどは、通用しない。なんとしても、この理不尽を乗り越えなければならないのだ。宮沢賢治の口真似をしておけば、どうにも動かせない「真っ暗な大きな壁」として、制度は屹立するのである。この「絶対の壁」の屹立があって、揚句の味わいがある。ところで、中国で「鬼才」といえば夭折した詩人の李賀ひとりを指すに決まっているが(ちなみに「天才」といえば李白のこと)、彼は受験する以前に科挙のチャンスを唐朝から拒絶された。これまた「絶対の壁」であり、絵に描いたような制度の理不尽にはばまれた。出世を期待していた家族のもとにおめおめと舞い戻ったときの詩の一節に、「人間(じんかん)底事(なにごと)か無からん」とある。この世の中の(不快な)仕組みは、底なしの泥沼みたいじゃないか。鬼才にして、このうめき……。『帰路』(1972)所収。(清水哲男)


January 2812001

 鯛焼の頭は君にわれは尾を

                           飯島晴子

ツアツの「鯛焼(たいやき)」を二人で分かち合う。しかも、餡の多い「頭」のところを「君」に与えている。それこそアツアツの情景だ。なんの企みもない句。飯島晴子の署名がなければ、「へえ、ご馳走さま」でもなく、簡単に見逃してしまうような句だろう。実は揚句は、亡き夫を偲んで書かれた句である。そういうことは、句集を読まないとわからない。前年の六月に、作者は夫と死別している。そのときには「藤若葉死人の帰る部屋を掃く」と、いかにも飯島さんらしい気丈な作風の一面を見せているが、死別後一年以上を過ぎた「鯛焼」の季節になって、いじらしいほどに気弱くなったようだ。新婚時代の、たぶん貧乏だった生活を思い出している。したがって、句の「われ」は作者ではない。「君」のほうが作者でなのあって、「われ」であった夫の優しさをさりげなく詠んでいるのだ。ところで、こうした説明がないと味わえない句は「よい作品ではない」とお考えの読者もおられるだろう。テキストがすべてのはずだ、と。お気持ちは、わかります。でも逆に、私はここに俳句のよさを認めたい気がしています。作者には、誰にだって個人的な事情があり、そのなかでの創作ですから、なるべくテキストだけでわかるように書きたいのはヤマヤマなれど、たまにはこんなふうに書きたくなる事情も発生する。その事情を殺して書くことも可能かもしれないが、揚句で言うと、わかる人だけにわかってもらえば「それでよし」としたほうが、より人間的な営みとなる。だから作者はきっと、この句を平凡なアツアツ句と読まれても、いっこうに構わないと思っていただろう。人には事情がある。俳句は、そのことを常に意識してきた文芸だ。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)




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