句集や結社誌を送ってくださる皆さま、ありがとうございます。お礼状も差し上げられず、心苦しく…。




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February 1222001

 言ひつのる唇うつくしや春の宵

                           日野草城

城、大正期の青春句。目の前の女性が、盛んに「言ひつの」ってくる。勝ち気で負けず嫌いなのだろう。たぶん、作者の言ったことに反発し、反論しているのだ。「生意気なことを言うんじゃないよ」くらいに思って聞いているうちに、だんだんと彼女の話よりも、その「唇(くち)」の美しさに目が奪われ、話の中身などどうでもよくなってしまった。男の気持ちは、えてしてこのように動きがちだ。そんなこととは露知らぬ彼女は、ますます舌鋒鋭く「言ひつのる」。まさに艶めく「春宵一刻値千金」の図。と、もちろん、これは作者の一方的な思いでしかない。一方的だから、当然、しっぺ返しも受ける。句集で揚句の次に出てくるのが、言わんこっちゃない、「くちびるをゆるさぬひとや春寒き」だ。欲望をあっさり断たれて、「春の宵」も急に寒くなっちゃった。青春の泣き笑い。ただし、泣かされても「くちびるをゆるさぬひとや」と平仮名表記で句をロマンチックに仕立て上げるのを忘れないところなんぞは、なかなかにしぶとい。失恋も、けっこう「カッコよいだろ」と言いたいのだ。いわば先天的な詩人の業を感じる。「くちびる」で思い出したが、戦後間もなくの流行歌に「夜の銀座は七色ネオン、誰にあげよかくちびるを、かりそめの恋……」という奔放な女性像を描いた一節があって、子供だったくせに、なぜか心惹かれた。昔の「くちびる」は「ゆるす」ものであり、また「あげる」ものなのであった。現代の青春では、どうなのだろう。室生幸太郎編『日野草城句集』(2001・角川書店)所収。(清水哲男)


February 1122001

 地球儀のいささか自転春の地震

                           原子公平

語では、地震を「なゐ」と言った。作者も、そのように読んでくださいと「ない」と仮名を振っている。ぐらっと来た。少し離れたところの地球儀を見ると、「いささか」回るのが見えた。地震だから地が動いたわけで、そこから「地球儀」も自転したと捉えたのが揚句の芸である。「いささか」でも地球儀が回るほどの地震だから、そんなに小さな揺れではなかったろう。ちょっと緊張して、腰を浮かせたくなるほどだったろう。とっさに地球儀に目がいったのは、部屋の中でいちばん転落しやすい物という意識が、日ごろからあったからに違いない。たしかに地球儀は、少なくとも見た目には安定感に欠けている。でも、それっきりで揺れは収まった。ヤレヤレである。句意としては、こんなところでよい。ただうるさいことを言えば、何故「春の地震」なのかという疑問が残る。べつに「春」でなくたって、他の季節の「地震」でも、同じことではないか。実際に、たまたま「春の地震」に取材したのだとしても、それだけでは「春」と表現する根拠には乏しいのではないか。地震の揺れように、四季の区別はないからだ。はじめ私もそう思ったが、この句の主題は「地震」などにはなく、本格的な「春」の到来にあるのだとわかった。すなわち、他の「夏」でも「秋」でも「冬」でもなく、いきなり「地震」のように予知できない感じで訪れるのが「春」なのだと。四季のうちで最もおだやかな「春」が、もっとも不意にやってくるのだと……。「春めく」という言葉があるくらいで、兆しはあっても、待つ「春」は遅い。しかし、あっと「地球儀」の回転に気づいたときには、もう「春」は盛りなのである。わざわざ「地震」を「ない」と読ませているのは、字余りを嫌ったのではなくて、「古来」という感覚を生かしたかったのだ。すなわち、句全体が「春の訪れ」の喩になっている。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


February 1022001

 忌籠の家の竹馬見えてをり

                           波多野爽波

集では、この句の前に「病篤しと竹馬の子の曰く」が置かれている。気にかかっている病人の様子を、その家の竹馬の子に「おじいちゃん、どんな様子かな」などと、さりげなく尋ねたときの答えだ。こういうことは、よくある。同じ家人でも、大人に尋ねるのは気が重い。それに、見舞いに行くほどの親しい間柄でもない。道で会ったら、会釈を交わす程度の町内の知り合いだ。「曰く」という表現には、竹馬に乗った子供が作者よりも高い位置から病状を告げた様子が見えて妙。さて、揚句ではその病人が亡くなった。通りかかった家の中はしいんとしており、玄関脇に子供の竹馬が立て掛けられているのが見える。ただこれだけの描写だけれど、冷え冷えとした竹馬が忌籠(忌中)の家の様子を雄弁に物語っている。なかでも、いつものように竹馬で遊べない子の神妙な表情までが見えてくるようではないか。このとき、竹馬はまさに「悲しき玩具」である。竹馬遊びは古くから行われていたようで、西行の「竹馬を杖にも今日は頼むかな童遊びを思出でつつ」は有名だ。ただし、この竹馬は笹の葉のついた竹を馬に見立てて、またがって遊んだものらしい。いまのような竹馬は、近世の産物か。冬の季語とされているが、この理由もよくわからない。「竹八月に木六月」といって、竹の伐りどきは秋口である。伐採されなかったり廃材化した無用の竹で作ったので、必然的に冬の遊び道具になったのかもしれない。なお「忌籠」は「いごもり」。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)




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