February 142001
砂漠越ゆ女神たのみの春飛行
松村多美
前書に「ラスベガス二句」とあるうちの一句。砂漠の人工都市ラスベガスに入るには、まるで「蚊とんぼ」のような頼りない雰囲気の飛行機に乗る必要がある。昔は、よく墜落した。だから必然的に「女神たのみ」の心持ちになる。巧みな句だと思う。私が最初にラスベガスに出かけたのは、仕事のためだった。生来の高所恐怖症も伴って、この飛行機には生きた心地がしなかった。「女神たのみ」などぜいたくなことは言っていられない。「ワラ」にもすがりたい思い。「春飛行」の暢気な風情は、カケラもなかったのである。と、体験した人にはよくわかる揚句だが、作者が書き留めておきたかった気持ちもよくわかるが、他の読者にはどうだろうか。最近は、海外に取材した句が増えてきた。虚子や漱石あたりが出かけていった戦前にも海外句はあるが、当時は物珍しさも手伝って読まれたのだろう。絵はがきかスナップ写真みたいに、だ。いまは旅行事情が激変しているので、そうもいかない。日本にいるときと同じ作句態度が要請される。が、私の狭量にも原因がありそうだが、行ったことのない外国が読まれていると、ちっとも面白く感じない。風土文物などが実感的にわからないので、感覚が届かないのである。国内であれば、未知の土地の句でも、それなりに推量はできる。外国は、さっぱりいけない。手がかりがない。これからも海外句は増えていくだろうが、未知の読者に向けて、一句や二句でその土地を言い当てるのは無理ではなかろうか。他に何か、芭蕉の『おくのほそ道』みたいな方法でも工夫しないと……。考えてみれば、芭蕉の紀行文は海外レポートみたいな要素をたくさん含んでいる。『森を行く』(2001)所収。(清水哲男)
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