おトーフやさーんっ。お母さんと幼い子供が追いかけていく。ラッパのお豆腐屋さん、気がついたかな。




2001ソスN2ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2122001

 春服の人ひとり居りやはり春

                           林 翔

の上では春となったが、まだ吹く風も冷たい。たいていの人が冬服のままでいるというのに、ひとりだけ「春服」を着ている人がいる。街中でちらりと見かけたのではなく、会合か何かの場所での作句だろう。「居り」という語が、作者がその人を認めている時間の長さを示しているからだ。地味な冬服に囲まれた明るく軽快な感じの「春服」一点なので、ずいぶんと目立つ。ましてや、女性であればなおさらに際立つ。もちろん男女いずれでもよいわけだが、作者はそんな「ひとり」を見やりつつ、「やはり春」なんだなと嬉しい気分になった。「やはり春」と自己納得したときに、心のうちにポッと明るいものが灯った。「でも、あの人、寒くないのかなあ……」。ところで、篠原梵に「人皆の春服のわれ見るごとし」がある。ちょうど、揚句に詠まれた人が詠んだような句だ。春めいてきたので、浮き浮きとした気分で春服を着て街に出てみたら、まだ「人皆」は冬服だった。じろじろと見られているようで、なんだか恥ずかしい。こういうときは、本人が意識するほど他人は見てはいないというが、いややっぱり、揚句の作者のように見ている人は見ているのだ。ただし、こうした感性は昔の人のそれであって、いまの若い人にはほとんど通じないかもしれない。なお「春服」はむろん春の季語だが、「春着」は晴着に通じ新年の季語に分類されている。念のため。「俳句研究」(2001年3月号)所載。(清水哲男)


February 2022001

 眠る山薄目して蛾を生みつげり

                           堀口星眠

語は「眠る山(山眠る)」で冬季だが、冬の間は眠っていた山が目覚めかけて「薄目して」いるのだから早春の句だ。山のたくましい生産力を描いて妙。早春の山というと、私などはすぐに木々の芽吹きに気持ちがいってしまうけれど、それでは凡に落ちる。当たり前に過ぎる。というよりも、山を深くみつめていないことになる。山は、我々の想像以上に多産なのだ。植物も生むが、動物も生む。もちろん「蛾」も生むわけだが、ここで「蛾」を登場させたところが素晴らしい。「蝶」ではなくて「蛾」。「蝶」でも悪くはないし、現実的には生んでいるのだが、やはり「薄目して」いる山には、地味な「蛾」のほうがよほど釣り合う。「蝶」であれば、「薄目」どころかはっきりと両眼を見開いていないと似合わない。「薄目」しながら、半分眠っている山が、ふわあっふわあっと、幼い「蛾」を里に向けてひそやかにかつ大量に吹きつづけているイメージは手堅くも鮮やかである。「蛾」の苦手な人には辛抱たまらない句だとは思うが、それはまた別次元での話だ。大岡信さんが新著『百人百句』(講談社)で、書いている。「星眠は、自然界の描写という点では師匠の水原秋桜子直伝のよさがあり、秋桜子が『葛飾』で水辺の世界をよく描いているのに対して、山の生物を描いているところに特色がある」。私のような山の子は、どうしても秋桜子より星眠に親近感を覚えてしまう。『祇園祭』(1992)所収。(清水哲男)


February 1922001

 天心にして脇見せり春の雁

                           永田耕衣

ろそろ、雁(かり)たちが北方に帰っていく季節である。季語「春の雁」は、北へと帰りはじめようとする雁のことを言う。だんだん、姿を消していく雁たち……。明るい春と別れの淋しさとを同時につかまえた季語で、人間界になぞらえれば「卒業」などに近い情趣がある。おそらく、日本語独特の表現だろう。よい季語だ。ちなみに「残る雁」の季語もあって、こちらは病気や怪我のためか、とにかく帰れない雁にわびしさを見た季語である。揚句は、帰るために、もう後戻りのできない「天心(中天)」にまで至っている雁の一羽が、ひょいと脇見をした様子を描いている。作者は、私たちが何となく想像している雁の北帰行の常識的なイメージを、それこそひょいとからかっているのだ。雁たちが一直線に真一文字に、ひたすら「天心(すなわち天子のような心持ち)」で北を目指しているというのが、おおかたのイメージだろう。もとより作者だとて、実際の飛行の様子は知らないわけだが、なかにはきっと「脇見」する奴だっているにちがいないと思った、そこがミソ。「脇見」は心の余裕の産物でもあるが、他方では「不安」のそれでもある。句では、後者と捉えたほうが面白い。ぱあっと北を目指して意気高く飛び上がったまではよいけれど、本当に「これでよかったのだろうか」と、周囲の仲間の表情を盗み見している図。言わでものことだけれど、揚句はたぶんに人間界への皮肉が意識されている。『吹毛集』(1955)所収。ちなみに「吹毛(すいもう)」とは「あらさがし」の意。(清水哲男)




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