デフレは単なる紙切れ(紙幣)の価値を高める倒錯化現象を招来する。いわば、妄想と狂気の現実化だ。




2001ソスN3ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0532001

 カメラ構えて彼は菫を踏んでいる

                           池田澄子

あっ、踏んづけてるっ。写真を撮る人は、当然被写体を第一にするから、自分の足下のことなどは二の次となる。だから、菫(すみれ)でもなんでも委細かまわずに踏んでしまう。撮られる人もよく撮ってほしいから、たいていはカメラを意識して、撮影者の足下までは見ないものだ。ところがなかには作者のような人もいて、カメラから意識を外すことがある。そうすると、揚句のような情景を見てしまうことにもなる。この場合、とにかくカメラマンは夢中なのであり、被写体はあくまでもクールなのである。そんな皮肉っぽい面白さのある愉快な句だ。句を読んで思い出したのは、松竹の助監督のままに亡くなった友人の佐光曠から聞いた話。『鐘の鳴る丘』(1948)を撮ったことでも有名な佐々木啓祐監督は、シネスコ時代になってから、画面のフレームを決めるのに煙草のピースの箱を使っていた。外箱の底から覗くと、ちょうどシネスコ画面の比率になるそうだ。で、ある日のロケで、いつものようにピースの箱を覗きながら「ああでもない、こうでもない」とやっているうちに、忽然として現場から姿を消してしまった。夢中になっているうちに、監督がなんと背後の川に転落しちゃったという実話だが、百戦錬磨のプロにだって、そういうことは起きるのである。菫を踏むなどは、まだ序の口だろう。作者にはまた「青草をなるべく踏まぬように踏む」の佳句があって、つらつら思うに、とてもカメラマンには向いていない性格の人のようである。『ゆく船』(2000)所収。(清水哲男)


March 0432001

 瞼の裏朱一色に春疾風

                           杉本 寛

の強風、突風である。とても、目を開けていられないときがある。思わずも顔をそらして目を閉じると、陽光はあくまでも明るいので、「瞼の裏」は「朱(あけ)一色」だ。街中でのなんでもない身のこなしのうちに、くっきりと「春疾風(はるはやて)」のありようを射止めている。簡単に作れそうだが、簡単ではない。相当の句歴を積むうちに、パッとそれこそ疾風のように閃いた一句だ。ちなみに天気予報などで使われる気象用語では、風速7メートル以上を「やや強い風」と言い、12メートル以上を「強い風」と言っている。コンタクトを装着していると、7メートル程度の「やや強い風」でも、もうアカん(笑)。その場でうずくまりたくなるほどに、目が痛む。だからこの時季、街角で立ち止まって泣いているお嬢さんに「どうしましたか」などと迂闊に声をかけてはいけない。おわかりですね。この春疾風に雨が混じると、春の嵐となる。大荒れだ。ところで私事ながら、今日は河出書房で同じ釜の飯を食い、三十年以上もの飲み仲間であった飯田貴司君の告別式である。享年六十一歳。1960年代の数少ない慶応ブントの一員にして、流行歌をこよなく愛した心優しき男。ドイツ語で喧嘩のできた一世の快男子よ、さらば。……だね。天気予報は、折しも「春の嵐」を告げている。すぐに思い出すのは石田波郷の「春嵐屍は敢て出でゆくも」であるが、とうていこの句をいま、みつめる心境にはなれない。まともに、目を開けてはいられない。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 0332001

 終夜潮騒雛は流されつづけゐむ

                           松本 明

語は「雛流し」。雛祭は元来が女の子の息災を祈る行事なので、すべての厄を飾った雛に移して(肩代わりしてもらって)、なるべく早く川や海に流した。三月三日の夕刻には、もう流してしまう地方も多かったと聞く。「捨雛(すてびな)」という感傷を排除した言い方もあるけれど、なんといっても人の形をしたものを流すのだから、たとえ紙の雛でも、流す人には複雑な思いが涌くだろう。考えてみれば、哀しくも残酷な風習だ。作者は夕方に見て戻り、流された雛の哀れが鮮烈に、いつまでも目に焼きついて離れないのだ。「終夜潮騒」が耳につき、熟睡できない。うとうととしかけては、また目覚めてしまう。その目覚めには、流されていった雛たちへの気掛かりが伴う。「流されつづけゐむ」には、作者のそうした気持ちがこもっていると同時に、遠くの暗黒の波間になお「流されつづけ」ている雛の姿を強く想像させる力がある。実際には「さかさまに水ごもりたまふ雛かな」(阿波野青畝)のように、ほとんど流れることもなく沈んでしまっているのかもしれない。「捨雛のうちふせありぬ草の上」(二宮英子)のように、早々に岸辺に打ち上げられてしまっている雛もあるだろう。しかし、そうは思いたくないというのが、人情だ。作者の詠んだ雛たちは、きっとどこまでもどこまでも流れていったことだろう。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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