ラジオに出ます。って言ったって毎日出てますが、今夕はNHK6時からの「ラジオ夕刊」。但し録音也。




2001ソスN3ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0932001

 残雪に月光の来る貧乏かな

                           小川双々子

つまでも薮陰などに残っている雪は、それだけでも貧乏たらしい。ましてや青白い月光を浴びるとなると、作者のように、おのれの貧乏ぶりまでをもあからさまにされたように気恥ずかしくもあり、ぐうの音も出ない感じになる。貧乏を嘆いているというよりも、月光の力でおのれの貧乏を再確認させられた心持ちなのだ。残雪と貧乏とは何の関係もないのだけれど、貧すれば何とやらだ。下うつむいて暮らす人の目には、いずれは消えゆく残雪だからこそ、ことさらにシンパシーを覚える。自然に、そうなる。無関係なものにも、勝手なワタリをつけてしまう。だから、それを煌々と照らす月は、当然のように無情と写る。とは言え、この句にはうじうじとした陰湿さがない。あっけらかんとしていて、むしろ面白い、滑稽だ。それは「貧乏かな」と意表を突く表現によるわけだが、もはや「かな」と力なく言うしかない作者も、心の片隅では苦笑(微笑に近いかな)しているにちがいない。したがって、作者に心の貧乏はないと読める。えてして金持ちは比較級で語りたがるが、実は貧乏人も同じなのだ。どれくらいに貧乏かを、互いに意地で競い合ったりすることすらある。そういうところが揚句には微塵もなく、すこぶる気持ちがよろしい。子供の頃に赤貧を味わった私には、自然にそう写る。作者の貧乏の程度を推理しようなんて、野暮な振る舞いには及びたくない。比較級抜きで「貧乏かな」の、残雪のように冷たくとも、月光のように清々しい滑稽を味わうのみである。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


March 0832001

 新宿や春月嘘つぽくありて

                           山元文弥

都心、新宿。物の本によれば、元禄十一年に「内藤新宿」として発した宿駅である。「内藤」は、高遠藩内藤氏の屋敷地だったことから名付けられ、新宿御苑は内藤家の下屋敷があったところだというから、豪勢なものだ。とくに関東大震災以降は、東京の交通の要衝となる。そんなことはともかく、新宿は我が青春の学校みたいな街だった。受験浪人時代には紀伊国屋書店と映画館に溺れ、社会人になってからは酒場に溺れた。あの頃の新宿は若者たちの野望と失意が渦巻いており、いまとなっても懐かしいだけではない何かをみんなに刻み込んだ街であった。そんな新宿にも空はあり、春の月もおぼろにかかった。揚句の「嘘つぽく」という表現は、一見安っぽくも写るが、この通りである。ネオンの林立する不夜城に上る月は、ひどく頼りない感じに見えた。人工的なネオンの光りのほうが自然に見え、月はまことにもって「嘘つぽ」いのであった。戦前の流行歌「東京行進曲」にも「♪変わる新宿 あの武蔵野の 月もデパートの屋根に出る」(うろ覚えです)の一節があり、そのころからもう「嘘つぽく」感じられていたのだ。わざわざ「あの武蔵野の月」だよと確認しないと、まがいものに見えたほどに……。最近は、めったに新宿に行かなくなった。昔からつづいている酒場も代替わりして、なじめない。一軒だけ、辻征夫が駅近くで発見した「柚子」という飲み屋があり、出かけるとそこにちょっと寄るくらいになった。今宵の月は真ん丸だ。新宿では、きっと誰かが「嘘つぽく」思いつつ眺めることだろう。『俳枕・東日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 0732001

 泥濘に児を負ひ除隊兵その妻

                           伊丹三樹彦

季句としてもよいが、句の「泥濘」は中身に照らして、この季節の「春泥(しゅんでい)」と読んでおきたい。徴兵制のシステムに詳しくないので、あるいは季節を間違えているかもしれないが、御容赦を。戦前の皆兵時代には、兵役につくと、普通は二年で満期となった。その晴れて満期となった日の光景だ。以下は、作者の弁。「営門前には、満期兵の家族たちが喜々として、これを迎える。中には留守の間に生れた幼児を背負うた若妻の姿も混る。青野原は赤土が多くて、雨が降ると泥濘となる。その上、戦車の轍(わだち)が幾筋もあって極めて歩き難い。でも健気な妻は、夫に愛児を見せようと、慎重な一歩一歩を進めるのだ」(「俳句研究」2001年3月号)。さながら無罪放免の感があるが、当人や家族の喜びは、いかばかりだったろう。赤ん坊を早く見せたくて、若妻は転ばないように慎重に歩を進めながらも、きっとそのうちには裾の汚れなど気にせぬほどの早い足取りとなっただろう。わずか半世紀少々前の、これが庶民の当たり前の現実であった。そしていまもなお、お隣りの韓国をはじめとして、徴兵制を敷いている国はたくさんある。そんな「世界の現実」を普段はすっかり忘れているが、とにもかくにもこの国に徴兵制がないことを、私たちはもっともっと喜びと誇りとしなければ……。日本の春の泥道はいま、たしかに歩きにくい。しかし、いくら歩きにくくたって、まだ歩けないほどではないのである。揚句での「泥濘」は、徴兵制そのものの暗喩のように、今日の読者に突きつけられているようだ。(清水哲男)




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