東京大空襲の日。私は七歳。赤黒く染まった全天の様子を覚えている。地獄絵の色彩だ。合掌あるのみ。




2001ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032001

 春山を越えて土減る故郷かな

                           三橋敏雄

さしぶりに「故郷」を訪れた。春の山には、昔と変わらず木の芽の香りが漂い、鳥たちも鳴いている。少年時代に戻ったような気分で山を越えると、しかしそこに見えてきたのはすっかり「土」の減っている「故郷」であった。道路は舗装され、田畑もめっきり減ってビルや住宅になり、すっかり景観が変わってしまっている。さながら今浦島の心地……。「春山」が昔と同じたたずまいを保っているだけに、よけいに違和感がある。まさに「土減る故郷」と言うしかないのである。作者の故郷は東京の端の八王子だが、句の様子は、日本全国ほとんどの地に当てはまるだろう。我が故郷の村では「兎追いしかの山」すらも自衛隊の演習地と化し、山自体が人工的に形を変えられ生態系も激変したので、この句も成立できないありさまだ。成立しないといえば、国木田獨歩に、都会で一旗揚げようと村を飛びだした男が、失意のうちに故郷に舞い戻るという短編があった。揚句とは違い、故郷は昔と変わらぬ田舎のままであり、子供たちが昔の自分と同じように、同じ川で魚を釣っている。この小説で最も印象的なのは、その子供たちの顔や姿から、男が「どこの子」かを当てるシーンだ。みんな、かつて自分と一緒に遊んだ友だちの子供なので、すぐに面影からわかったのである。「土減る故郷」では、もはやこういうことも起こらない。「故郷」への切ない挽歌である。『眞神』(1973)所収。(清水哲男)


March 0932001

 残雪に月光の来る貧乏かな

                           小川双々子

つまでも薮陰などに残っている雪は、それだけでも貧乏たらしい。ましてや青白い月光を浴びるとなると、作者のように、おのれの貧乏ぶりまでをもあからさまにされたように気恥ずかしくもあり、ぐうの音も出ない感じになる。貧乏を嘆いているというよりも、月光の力でおのれの貧乏を再確認させられた心持ちなのだ。残雪と貧乏とは何の関係もないのだけれど、貧すれば何とやらだ。下うつむいて暮らす人の目には、いずれは消えゆく残雪だからこそ、ことさらにシンパシーを覚える。自然に、そうなる。無関係なものにも、勝手なワタリをつけてしまう。だから、それを煌々と照らす月は、当然のように無情と写る。とは言え、この句にはうじうじとした陰湿さがない。あっけらかんとしていて、むしろ面白い、滑稽だ。それは「貧乏かな」と意表を突く表現によるわけだが、もはや「かな」と力なく言うしかない作者も、心の片隅では苦笑(微笑に近いかな)しているにちがいない。したがって、作者に心の貧乏はないと読める。えてして金持ちは比較級で語りたがるが、実は貧乏人も同じなのだ。どれくらいに貧乏かを、互いに意地で競い合ったりすることすらある。そういうところが揚句には微塵もなく、すこぶる気持ちがよろしい。子供の頃に赤貧を味わった私には、自然にそう写る。作者の貧乏の程度を推理しようなんて、野暮な振る舞いには及びたくない。比較級抜きで「貧乏かな」の、残雪のように冷たくとも、月光のように清々しい滑稽を味わうのみである。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


March 0832001

 新宿や春月嘘つぽくありて

                           山元文弥

都心、新宿。物の本によれば、元禄十一年に「内藤新宿」として発した宿駅である。「内藤」は、高遠藩内藤氏の屋敷地だったことから名付けられ、新宿御苑は内藤家の下屋敷があったところだというから、豪勢なものだ。とくに関東大震災以降は、東京の交通の要衝となる。そんなことはともかく、新宿は我が青春の学校みたいな街だった。受験浪人時代には紀伊国屋書店と映画館に溺れ、社会人になってからは酒場に溺れた。あの頃の新宿は若者たちの野望と失意が渦巻いており、いまとなっても懐かしいだけではない何かをみんなに刻み込んだ街であった。そんな新宿にも空はあり、春の月もおぼろにかかった。揚句の「嘘つぽく」という表現は、一見安っぽくも写るが、この通りである。ネオンの林立する不夜城に上る月は、ひどく頼りない感じに見えた。人工的なネオンの光りのほうが自然に見え、月はまことにもって「嘘つぽ」いのであった。戦前の流行歌「東京行進曲」にも「♪変わる新宿 あの武蔵野の 月もデパートの屋根に出る」(うろ覚えです)の一節があり、そのころからもう「嘘つぽく」感じられていたのだ。わざわざ「あの武蔵野の月」だよと確認しないと、まがいものに見えたほどに……。最近は、めったに新宿に行かなくなった。昔からつづいている酒場も代替わりして、なじめない。一軒だけ、辻征夫が駅近くで発見した「柚子」という飲み屋があり、出かけるとそこにちょっと寄るくらいになった。今宵の月は真ん丸だ。新宿では、きっと誰かが「嘘つぽく」思いつつ眺めることだろう。『俳枕・東日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)




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