March 122001
ふたなぬか過ぎ子雀の砂遊び
角川源義
季語は「子雀(雀の子)」で春。孵化してから二週間(つまり「ふたなぬか」)ほど経つと、巣立ちする。はじめのうちこそ親について行動するが、それも十日ほどで独立するという。立派なものだ。でも、そこはまだ赤ちゃんのことだから、砂遊びもやはり幼くぎごちない。見守る作者ははらはらしつつも、その健気な姿に微笑を浮かべている。ところで雀といえば、「孕み雀」「黄雀」「稲雀」「寒雀」など季語が多いが、なかに「すずめがくれ(雀隠れ)」という季語がある。春になって萌え出た草が、舞い降りた雀の姿を隠すほどに伸びた様子を言う。載せていない歳時記もあって、元来が和歌で好まれた言葉だからかもしれない。「萌え出でし野辺の若草今朝見れば雀がくれにはやなりにけり」など。一種の洒落なので、使いようによっては野暮に落ちてしまう。成瀬櫻桃子に「逢はざりし日数のすずめがくれかな」の一句あり。どうだろうか。「逢はざりし」人は恋人かそれに近い存在だろうが、現代的感覚からすれば、野暮に写りそうだ。逢わない日数を草の丈で知るなどは、もはや一般的ではない。揚句に話を戻すと、瓦屋根の家がたくさんあったころには、雀の巣も子もよく見かけた。句の砂遊びの姿も、珍しくはなかった。が、いまどきの都会の雀の巣はどこにあるのだろう……。たしかに昔ほどには、雀を見かけなくなってしまった。ここで、石川啄木の「ふと思ふ/ふるさとにゐて日毎聴きし雀の鳴くを/三年聴かざり」を思い出す。「三年(みとせ)」は啄木の頻用した誇張表現だから信用しないとしても、明治期の都会でも雀の少なくなった時期があったのだろうか。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
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