March 162001
母に抱かれてわれまつさきに囀れり
八田木枯
母恋の句。赤ん坊が小鳥のように「囀る(さえずる)」わけもないが、若き母親の期待に応えて、あのときに僕は一生懸命に言葉を発していたのですよと、いまは亡き母に訴え、賛意を求めている。でも、僕の声は人間の言葉にはならず、単なる囀りのようでしかなかったかもしれない。でも、とにかく僕が「まつさき」でしたよね、お母さん……。僕は、いまでもそのことを誇りに思っています。と、この心情にはいささかの狂気も感じられるが、しかし、亡き母を偲ぶ人の気持ちには、狂気があって当然だろう。狂気が言い過ぎならば、通常の世間とのつきあいでは成立せぬ感情が、母との関係においては、楽々と発生するということだ。母親とは、なにしろ世間を知るずっとずっと前からのつきあいだもの……。このときに、一方の親である父親は、いわば「最初の世間」として立ち現れるのだろう。そこが、母親と子供との濃密な関係を持続させる理屈抜きの要因だ。だから、同じ作者の「両手あげて母と溺るる春の川」の句にしても、よくわかる。母親とであれば、ともに溺れたってよいのである。両手をあげているのは、嬉々として溺れている狂気の世界を積極的に象徴してみたまでだ。「春の川」が、その心情に拍車をかけている。私の場合は母が存命なので、作者の狂気を十分に汲みとるわけにはいかない。でも、年齢のせいか、母への思いがこのように純化されていく心理的プロセスだけはわかるような気もしてきた。同じ作者に、こういう句もある。「井戸のぞく母に重なり夏のくれ」。妖しい狂気が漂っていて、三句のなかではいちばん印象深い。『於母影帖』(1995)所収。(清水哲男)
June 122015
翼あるものみな飛べり夏の夕
井上弘美
鳥類は空中を飛ぶために前足を発達させ翼を得たと言われる。翼あるものみな飛ぶ、飛行機だって両翼を持っている。ギリシャ神話のイカロスは鳥の羽を集めて、大きな翼を造った。高く、高く飛んでしまったため太陽に近づくと、羽をとめた蝋(ろう)が溶けてしまったそうだ。とある夏の夕暮れにねぐらへ帰る鴉を飽きることなく見送って妄想を燻らせる。わが人体を如何に浮遊させんか、、、さてそれからの吾が夢は一体どこへ羽ばたくのやら、夜が短い。他に<母の死のととのつてゆく夜の雪><月の夜は母来て唄へででれこでん><花食つて鳥は頭を濡らしけり>などあり。『井上弘美句集』(2012)所収。(藤嶋 務)
July 092015
立ち読みの皆柔道部夏の暮
森島裕雄
いるいる。部活帰りの重そうなビニールバッグを足元に置いて、柔道部の連中が書店の雑誌売り場にコミック売り場にごそっと溜まって立ち読みをしている。見回りの先生が一瞥すれば、野球部のメンツ、サッカー部のメンツ、とすぐに判別がつくのだろう。それにしても柔道部ときたらみんなガタイがよくて、おまけに暑苦しそう。夏の暮は七時ぐらいになってもまだ明るい。通勤帰りの客がちょっと書店でも寄ってみようかと思う時間帯でもある。場所ふさぎの連中には退去してほしいが、店の人が声をかけるのも躊躇するぐらい迫力があるのかも。柔道部の連中もそんな店の雰囲気を察して大きな身体を縮こませて立ち読みをしているのかも。そんな情景を想像すると掲句の「柔道部」に何ともいえない愛敬とおかしみがある。『みどり書房』(2015)所収。(三宅やよい)
June 232016
きつね来て久遠と啼いて夏の夕
久留島元
きつねは不思議な動物である。瀬戸内の海辺にある学校で教師をしていた時、野生の狸は時々給食の残飯をあさりに来ていたので昼間から目にしていたが、きつねは山の中で猟師の罠にかかっているのを見たのが初めてだった。野生の狐は鋭くそそけだった顔をして歯をむき出しにこちらに向かってくる勢いだった。あまり人前に姿を現すことがないから神格化されるのか。「久遠」と表記された鳴き声が、赤いよだれかけをした稲荷神社のきつねの鳴き声のようだ。きつねといえば「冬」と季の約束事に縛られた観念からは発想できない軽やかさ。夏の夕方へ解き放たれたきつねが嬉しがって時を超える啼き声を上げている。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)
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