March 292001
鳥の恋峰より落つるこそ恋し
清水径子
季語は「鳥の恋」で春。春から初夏にかけては野鳥の繁殖期で「鳥交る(さかる)」「鳥つるむ」などとも言う。ちょっと面白い作りの句だ。サーカスのジンタで知られる曲「美しき天然」の歌詞にかけてある。「♪空にさえずる鳥の声、峰より落つる滝の音……」。作者は鳥たちが美声を発して求愛をしている様子を聞き、ふとこの歌を思い出した。口ずさんでいるうちに、自然に一句がなったのだろう。「峰より落つる」のは滝である。その滝のように激しく「落つる」のが、恋の理想だと。したがって「落つるこそ恋し」の「恋し」は、たとえば「恋を恋する」と言うときの「恋し」であり、抽象的な対象を憧憬し理想化している。「落つる(恋)こそ恋し」なのだ。句集の刊行時から推定して、作者七十代後半の句かと思われる。探してみたが、この人に恋愛の意味での「恋」の文字の入った句は他に見当たらず、同じ句集にわずかに「君のそばへとにかくこすもすまであるく」と、異性を意識した句が見える。本当はすっとまっすぐ近づきたいのに、とりあえず「こすもす」に近づくふりをしているのだ。このときに「コスモス」と片仮名でないのは、「君」に対する感情が「コスモス」を甘く「こすもす」と揺らしたかったためだと思う。控えめでつつましい女性の姿が想像される。そのような女性にして、この一句あり。かえって、私には得心がいった。『夢殻』(1994)所収。(清水哲男)
April 192001
モヴィールの鳥は睦まぬ三十路かな
福島国雄
昨日に引き続いて、表記に問題のある句。「モヴィール」は「MOBILE」のカタカナ表記だから「モビール」でなければならない。同様に「DOUBLE」を「ダヴル」と誤記した例も、よく見かける。洒落たつもりかもしれないが、「B」と「V」では大違い。それはさておき、不思議な印象を残す句だ。作句年は1973年(昭和48年)。世相的な男女のことで言うと、上村一夫の漫画『同棲時代』が大ヒットして「同棲ブーム」などと喧伝されたころだ。薄暗いアパートの一室で二人がじめじめと暮らすという暗い内容の漫画だったが、それが若者には憧れの生活と写っていたのだから、面白い。しかしそんな生活は二十代のもので、たいがいは結婚していた三十代は大変だった。アパートでのじめじめ生活は一緒でも、なにしろ生活のために稼がなくてはならぬ。子供でもいれば、とにかく律儀に懸命に働くのみ。いったい俺は何をしに生まれてきたのかと、作者と同じく三十路にあった私もたまには考えたが、いつまでも下手な考えに沈んでいるわけにもいかなかった。なるほど、この状態はモビールの鳥に似ていたかもしれない。社会という細い糸に吊られ、風に吹かれて浮遊していた三十代は、一見悠々と生活の軌道に乗っているように見えて、そうではなかった。もはや、睦み合う二十代、つい昨日の青春を遠く離れてしまったという実感があった。そんなことを思い出すと、言い得て妙、たしかにモビールの鳥のようでしかなかった。美術館でカルダーのモビールを見たのも、奇しくもちょうどそのころである。「三十路かな」の詠嘆が、実に苦い。無季句としてもよいが、当歳時記では「鳥交る」で春に分類した。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)
March 062008
鳥の戀祝辞は胸にたたまれて
小山森生
旧字体の形には意味が美しく織り込まれている。「戀」には神への誓約に糸飾りをつけてその言葉に真実違うところがないことを表すとともに、神を楽しませる意を含んでいると白川静の『字統』にある。恋という字に「言葉」が含まれているとは。旧字体になじみのない私には新鮮な驚きだった。祝辞にもいろいろあるけど、天上の鳥たちが囀るこの時期に想像されるのは先生から卒業する生徒へ贈る言葉、在校生が卒業生を送る言葉だろうか。数日間頭を絞って考えられた言葉は別れであっても輝かしい未来を祝すもの。相手を思いやる心が込められた祝辞が四角く折りたたまれてポケットに収められている。それは祝辞の状態を表すともに言葉を受け取る側の心持ちと重なるところがある。卒業する生徒達に別れの実感はまだ乏しいかもしれないが、「じゃあね」と校門で手を振ったきり、二度と顔を合わすことのない先生や友人も多くいるだろう。何十年も経てから別れの意味がわかるように、この日の祝辞も心の隅からふと思い出される時が来るかもしれない。新しい道に踏み出す卒業生が幸せでありますように。「鳥の戀」が胸にたたまれた祝辞をおおらかな春空へと誘ってゆくようで、気持ちの良い言葉の風景を作りだしている。俳誌「努(ゆめ)」(2007/3/1発行第69号)所載。(三宅やよい)
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