新入社員時代、酒屋でのコップ酒を覚えた。給料日にはカニ缶を開けて、そりゃあ豪勢な気分でした。




2001ソスN4ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1242001

 夕東風や銭数えてる座頭市

                           小沢信男

頭(ざとう)とは、元来が琵琶法師の座に属する剃髪した盲人の官位を指す。近世になると、琵琶を演奏するだけではなく、一方で按摩や金貸しなどを業とした。転じて、盲人の意味もある。江戸期、そんな盲人の一人に「座頭市」と呼ばれた凄い男がいた。子母沢寛の随筆にほんの数行だけれど、按摩にして居合い抜きの達人がいたと出てくる。この数行をふくらませたのが京都大映の脚本家・犬塚稔で、それまでは白塗りで鳴かず飛ばずだった勝新太郎をスターの座に押し上げてしまった。「座頭市シリーズ」である。第一作目は『座頭市物語』(1962)。下総の大親分・飯岡助五郎一家に草鞋を脱いだ座頭市は、賭場では目明き以上の眼力を発揮したし、仕込み杖を逆手に握った居合い抜きの冴えには恐るべきものがあった。それが浮き世のしがらみから、お互いに剣の実力を認め合っている笹川繁蔵の用心棒・平手造酒との直接対決となる。このあたりは、むろん脚本家のフィクションだ。映画なので、座頭市が勝つ。勝つのだが、好まざる命のやりとりに空しさを覚えた座頭市が下総を去っていくところで、映画は終わる。前説が長くなったけれど、掲句はそよそよと心地よく吹く夕東風のなかで、座頭市が真剣な手つきで銭を数えている。それも、按摩の仕事で得た小銭をだ。仕込み杖さえ使う気になれば大金が転がり込んでくるというのに、それをしないで真っ当に按摩で稼いだ銭をいとおしんでいる。その姿を、作者もまたいとおしんでいる。春の夕景は、こうあってほしいものだ。このわずかな銭を元手に、これから彼がちんけな賭場に上がり込むにしても、だ。平手造酒とは違って、座頭市は身をやつしているわけじゃない。居合い抜きの名手であることも、彼にとって社会的な価値でも何でもない。あんなに腕が立つのなら、もっとよい暮らしができるのにと思うのは、現代人の見方。そうはいかなかったのが、江戸という時代だ。そのへんの事情にも、作者の思いはきちんと至っている。文芸同人誌「橋」(第16号・2001年4月)所載。(清水哲男)


April 1142001

 むつとしてもどれば庭に柳かな

                           大島蓼太

太(りょうた)は、十八世紀江戸の人。例の「世の中は三日見ぬ間に桜かな」の俳人だ。「むつとして」と口語を使っているのが、面白い。いまどきなら「むかついて」とやるところか(笑)。表で、何か不愉快なことがあった。むかむかしながら帰宅すると、庭では柳が風を受け流すようにして超然と静かに揺れている。些細なことに腹を立てている自分が、小さい人間に思われて恥ずかしいと言うのだろう。むろん、目にしみるような柳の美しさに、立腹に荒れた心が癒されてもいる。桜の句もそうだが、かなり教訓を垂れようとする色合いが濃い。また、そう読まなければ読みようがない。このように詩歌に教訓や人生訓を持ち込む流れは、昔から脈々としてつづいてきた。高村光太郎などはお得意だったし、宮澤賢治の一部の詩もそうだし、現代の書き手にも散見される。投稿作品には、どういうわけか実に多い。子供の頃は別(賢治の「稲作挿話」には感動した)として、やがて私はこういう流れが苦手となり、出会うたびにそれこそ「むつとして」きた。詩歌に生き方まで教えてほしくないよ、「東へ西へ歩け歩け」(光太郎)だなんて余計なお世話じゃないか……。ただし、このテの作者の美質はとにかく生真面目なところにあり、私など不良は恥じ入るばかりだ。だから「むつとして」も、なかなか面と向かっては物を言えないできた。不幸にも我が家の庭には柳もないことだし、どうすればよかんべえか。(清水哲男)


April 1042001

 山桜輪吊りにまはし売り軍手

                           加倉井秋を

かと見紛う真っ白い山桜が咲きはじめた。取り合わせて、真新しい白い軍手(ぐんて)。「輪吊りにまはし」とは面白い言い回しだが、小さな洗濯物を干すときに使う輪状の物干しにぐるりと軍手が吊り下げられている。この白色と白色との取り合わせに、何を思うか。それは、読者が「軍手」に何を思うかによって決定されるだろう。大きく分ければ、二通りに読める。農事に関わる人ならば、軍手は労働に欠かせない手袋だ。ちょうど山桜が咲く頃に農繁期に入るので、万屋(よろずや)の店先で新しい軍手を求めているのである。店の裏山あたりでは、山桜がぽつぽつと咲きはじめているのが見える。毎春のことながら「さあ、忙しくなるぞ」と、自分に言い聞かせている。また一方で、ちょっとした登山の好きな人ならば、登山道の入り口ちかくに軒を連ねている店を連想するだろう。軍手は、山菜採りなどで怪我をしないために使う。これから登っていく山を見上げると、そこここに山桜がまぶしい。軍手を一つ買い杖も一本買って、準備完了である。さあ、わくわくしながらの出発だ。いずれの読みも可能だが、私の「軍手」のイメージは、どうしても農作業に結びついてしまう。ごわごわとした真新しい軍手をはめるときの感触は、いまだに記憶に残っている。ちなみに、なぜこの手袋を「軍手」と呼ぶのだろうか。旧陸海軍の兵士たちが使っていたからというのが、定説である。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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