昨日は多磨霊園で友人の納骨式。桜花は残っていませんでした。青葉若葉に日の光…。もう初夏でした。




2001ソスN4ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1542001

 友ら老いてうぐいす谷の橋の上

                           佐藤佐保子

京に「鶯谷(うぐいすだに)」の地名がある。岐阜にも同じ地名はあるが、この「橋」は上野公園の端っこから根岸に渡る「凌雲橋」あたりかと、勝手に見当をつけておく。掲句は「鶯谷」を「うぐいす」と「谷」に割って表記したところがミソだ。割ったままで読むと、老いた友人たちと山の谷間を散策する作者が「うぐいす」の声のする方を見やると、小さな「橋」がかかっており、そこに「うぐいす」がいるような感じがしたという牧歌的な情景にうつる。しかし、割らないで読むと、いきなり舞台は都会に変転して、山手線は鶯谷近くの橋の上を、友人たちと歩いている光景になる。「うぐいす」と「谷」を分けることで、両方の光景がダブル・イメージとなって、読者に飛び込んでくる。言葉遊びではあるけれど、それに終わっていない。両者の主情がほのかに通い合い、絶妙の効果をあげている。実際は、都会の「鶯谷」の「橋の上」なのだ。クラス会か何かの帰りだろうと思う。若き日と同じように、みんなが囀るようにおしゃべりしているのだが、その声音には歴然と老いが感じられる。隠せない。そう言えば、ここは「うぐいす」「谷」だった。一瞬、人里離れた谷間で老いていく「うぐいす」のことも思われて、侘びしくもあり、どこかこの現実が信じられなく受け入れがたい気持ちでもあり……。みんな綺麗だったから、それこそ「鶯鳴かせたことも」あったのにと、作者は陽気に囀りながらも思うのである。ちょっと、言い過ぎたかな。『昭和俳句選集』(1977・永田書房)所載。(清水哲男)


April 1442001

 昼の酒はなびら遠く樹を巻ける

                           桂 信子

ぶん葬儀か法要の後の、浄めの酒だろう。どういうわけか、「昼の酒」は少しでも酔いが早くまわる。折しも落花の候。酔いを自覚した目に、遠景の桜吹雪が見えている。樹を巻くように散るとは、幻想的な落花の様子を言い当てて妙だ。ほんのりと酔った作者は、故人をしのびつつ、盛んに散りゆく「はなびら」の姿に世の無常を感じている。散る桜、残る桜も散る桜。と、昔の人はまことにうまいことを言った。私事になるけれど、今日午前に多磨霊園で、さきごろ亡くなった友人の納骨式がある。「昼の酒」となる。まだ、花は少しくらい残っているだろう。鎌倉生まれで鎌倉育ちだった彼の愛唱歌の一つに、「元寇」があった。有名な蒙古襲来、文永・弘安の役の歌だ。「四百余州をこぞる 十万余騎の敵」と歌い出し、なかで彼がいちばん声を張り上げたのは「なんぞ恐れん我に 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示せ」のくだりだった。酔えば、よく歌っていた。その鎌倉男児も、いまや亡し。突然、それこそ樹を巻くようにして、苦しそうに散ってしまった。かつての仲間たちと「昼の酒」を飲みながら、私はきっとこの歌と掲句を思い出し、そして少しだけ泣くだろう。桂信子に「鎌倉やことに大きな揚羽蝶」もある。『彩(あや)』(1990)初秋。(清水哲男)


April 1342001

 蛇穴を出れば飛行機日和也

                           幸田露伴

語は「蛇穴を出づ」で、春。冬眠からさめた蛇が地中から出てみると、ぽかぽかとした上天気。空を見上げて、思わずも「ああ、飛行機日和だ」とつぶやいている。まさか蛇がつぶやくわけもないが、ようやく長い冬のトンネルを抜け出た作者が、上機嫌で蛇につぶやかせたくなったのだ。真っ暗な地中から出てきたら、真っ先に目に入るのは周辺の景色ではなく、やはり明るい上空だろう。「蛇」と「飛行機」。この取り合わせには、意表を突かれる。それにしても、「飛行機日和」なんて楽しい言葉があったとは……。現代の「フライト日和」は飛行機に乗る人の側からの発想だが、「飛行機日和」は飛んでいる飛行機を下から見上げる人のそれだろう。昔の飛行機は低空で飛んだので、機影がよく見えた。パイロットの顔も見えた。爆音が近づいてくると、大人も子供も外に出て「凄いなあ」と眺めたのである。私の子供の頃は、飛行機はもちろんだが、自動車が通りかかっても後を追いかけて走ったものだ。排気ガスの匂いが、なんとも言えぬほどに心地よかった。まさに芳香。みんなで、胸いっぱいに吸い込んでいた。爾来半世紀を閲して、飛行機はよく見えなくなり、排気ガスは悪臭と化す。さて、今日の天気を「何日和」と言うべきなのか。『俳句の本』(2000・朝日出版社)所載。(清水哲男)




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