晩春の候。あれもこれもと心は逸れども、坂を転がるボールのように月日は容赦なく飛び去っていきます。




2001ソスN4ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1642001

 逸る眼をもて風待ちの武者絵凧

                           櫛原希伊子

潟は「見附の凧合戦」と、自注にある。私は、残念なことに凧合戦を見たことがない。いつだったか、五月に行われる浜松の凧揚げの話を現地で聞いたことがあり、一度その勇壮な模様を見たいと思っていたので、掲句に目がとまった。凧には風が必要だから、よい風が吹いてくるのを待っている。風待ちの状態で、実際に血気に「逸(はや)る眼」をしているのは揚げ手の男たちだが、観衆には大凧に描かれた「武者」の眼に、彼らの切迫した気持ちが乗りうつっているように見えるのだ。つまり、ここで凧の「武者」は単なる絵ではなく、いざ出陣の生きた武士なのである。観衆にも、だんだん緊張感が高まってくる。自注にはまた「振舞酒が出た」と記されていて、適度の酒は雑念を払い集中力をうながすから、いやが上にも気分は昂揚せざるを得ない。そんな会場全体の時空間の雰囲気を、ばさりと大きく一枚の「武者絵」の「眼」で押さえたところが、作者の腕の冴え、技術の確かさを示しているだろう。それにしても「逸」という言葉には含蓄がある。原義は「弓なりに曲がる」という意味だそうだが、となれば「逸る」とは常に目的からはずれて「逸(そ)れる」危険性をはらんだ精神状況だ。「逸する」などとも言い、とかく「逸」にはマイナス・イメージの印象があるが、そうではない。何事かをなさんとする時の緊張状態を指している。だから、弓なりになりながら「一か八か」と短絡してしまうと、緊張感が「逸れて」勝負事にはたいてい負ける。蛇足ながら、ハワイのテレビはよく日本の時代劇映画を放映しているが、「一か八か」を翻訳してテロップで「ONE OR EIGHT」とやったことがある。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


April 1542001

 友ら老いてうぐいす谷の橋の上

                           佐藤佐保子

京に「鶯谷(うぐいすだに)」の地名がある。岐阜にも同じ地名はあるが、この「橋」は上野公園の端っこから根岸に渡る「凌雲橋」あたりかと、勝手に見当をつけておく。掲句は「鶯谷」を「うぐいす」と「谷」に割って表記したところがミソだ。割ったままで読むと、老いた友人たちと山の谷間を散策する作者が「うぐいす」の声のする方を見やると、小さな「橋」がかかっており、そこに「うぐいす」がいるような感じがしたという牧歌的な情景にうつる。しかし、割らないで読むと、いきなり舞台は都会に変転して、山手線は鶯谷近くの橋の上を、友人たちと歩いている光景になる。「うぐいす」と「谷」を分けることで、両方の光景がダブル・イメージとなって、読者に飛び込んでくる。言葉遊びではあるけれど、それに終わっていない。両者の主情がほのかに通い合い、絶妙の効果をあげている。実際は、都会の「鶯谷」の「橋の上」なのだ。クラス会か何かの帰りだろうと思う。若き日と同じように、みんなが囀るようにおしゃべりしているのだが、その声音には歴然と老いが感じられる。隠せない。そう言えば、ここは「うぐいす」「谷」だった。一瞬、人里離れた谷間で老いていく「うぐいす」のことも思われて、侘びしくもあり、どこかこの現実が信じられなく受け入れがたい気持ちでもあり……。みんな綺麗だったから、それこそ「鶯鳴かせたことも」あったのにと、作者は陽気に囀りながらも思うのである。ちょっと、言い過ぎたかな。『昭和俳句選集』(1977・永田書房)所載。(清水哲男)


April 1442001

 昼の酒はなびら遠く樹を巻ける

                           桂 信子

ぶん葬儀か法要の後の、浄めの酒だろう。どういうわけか、「昼の酒」は少しでも酔いが早くまわる。折しも落花の候。酔いを自覚した目に、遠景の桜吹雪が見えている。樹を巻くように散るとは、幻想的な落花の様子を言い当てて妙だ。ほんのりと酔った作者は、故人をしのびつつ、盛んに散りゆく「はなびら」の姿に世の無常を感じている。散る桜、残る桜も散る桜。と、昔の人はまことにうまいことを言った。私事になるけれど、今日午前に多磨霊園で、さきごろ亡くなった友人の納骨式がある。「昼の酒」となる。まだ、花は少しくらい残っているだろう。鎌倉生まれで鎌倉育ちだった彼の愛唱歌の一つに、「元寇」があった。有名な蒙古襲来、文永・弘安の役の歌だ。「四百余州をこぞる 十万余騎の敵」と歌い出し、なかで彼がいちばん声を張り上げたのは「なんぞ恐れん我に 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示せ」のくだりだった。酔えば、よく歌っていた。その鎌倉男児も、いまや亡し。突然、それこそ樹を巻くようにして、苦しそうに散ってしまった。かつての仲間たちと「昼の酒」を飲みながら、私はきっとこの歌と掲句を思い出し、そして少しだけ泣くだろう。桂信子に「鎌倉やことに大きな揚羽蝶」もある。『彩(あや)』(1990)初秋。(清水哲男)




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