「大和都市管財」破綻。タンポも動かせば金を生む理屈だ。抵当証券も知らなかったけど、仕組みは納得。




2001ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1742001

 戦意なき男がぬつと目借時

                           和湖長六

は眠い。わけても蛙の単調な鳴き声を聞いていると、ついうつらうつらと眠くなってくる。この生理的現象は、さながら蛙に目を借りられたようなものだと言う人がいて、春の季語「(蛙の)目借時」が登場した。変な季語もあったものだが、江戸期には多くの人々のコンセンサスを得られたのだろう。全国、どこでも蛙の単調にして共通な斉唱が聞かれた時代だった。現代人である作者は、蛙の声と関係があるのかないのかは不明だが、とにかくうつらうつらと睡魔に襲われている。寝てはいけないと、みずからを叱咤してみるが、眠いものは眠いのだ。と、そこに「ぬつ」と入ってきたのが「戦意なき男」だったのだから、たまらない。眠気は、いよいよ増すばかりとなった。誰かが訪ねてくれば、たいていは少しは気持ちがしゃきっとするものだ。それが反対に作用していると言うのだから、面白い。「ぬつ」と訪ねてきた男の、ヌーボーとした風貌までが見えるようだ。むろん、お互いにツーカーの仲である。したがって、まったく緊張関係がない。こいつにまで、「目」を借りられちゃいそうだ……。ここで、思い出した。その昔のラジオの生放送中に、相棒の女性(特に名を秘す)がいやに寡黙になったと思ったら、あろうことか、実にすやすやとお眠りになっていた。ということは、彼女にとっての私は、まさに「戦意なき男」だったようだ。そう思われても、たしかに仕方のない男ではありますな、ハイ。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)


April 1642001

 逸る眼をもて風待ちの武者絵凧

                           櫛原希伊子

潟は「見附の凧合戦」と、自注にある。私は、残念なことに凧合戦を見たことがない。いつだったか、五月に行われる浜松の凧揚げの話を現地で聞いたことがあり、一度その勇壮な模様を見たいと思っていたので、掲句に目がとまった。凧には風が必要だから、よい風が吹いてくるのを待っている。風待ちの状態で、実際に血気に「逸(はや)る眼」をしているのは揚げ手の男たちだが、観衆には大凧に描かれた「武者」の眼に、彼らの切迫した気持ちが乗りうつっているように見えるのだ。つまり、ここで凧の「武者」は単なる絵ではなく、いざ出陣の生きた武士なのである。観衆にも、だんだん緊張感が高まってくる。自注にはまた「振舞酒が出た」と記されていて、適度の酒は雑念を払い集中力をうながすから、いやが上にも気分は昂揚せざるを得ない。そんな会場全体の時空間の雰囲気を、ばさりと大きく一枚の「武者絵」の「眼」で押さえたところが、作者の腕の冴え、技術の確かさを示しているだろう。それにしても「逸」という言葉には含蓄がある。原義は「弓なりに曲がる」という意味だそうだが、となれば「逸る」とは常に目的からはずれて「逸(そ)れる」危険性をはらんだ精神状況だ。「逸する」などとも言い、とかく「逸」にはマイナス・イメージの印象があるが、そうではない。何事かをなさんとする時の緊張状態を指している。だから、弓なりになりながら「一か八か」と短絡してしまうと、緊張感が「逸れて」勝負事にはたいてい負ける。蛇足ながら、ハワイのテレビはよく日本の時代劇映画を放映しているが、「一か八か」を翻訳してテロップで「ONE OR EIGHT」とやったことがある。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


April 1542001

 友ら老いてうぐいす谷の橋の上

                           佐藤佐保子

京に「鶯谷(うぐいすだに)」の地名がある。岐阜にも同じ地名はあるが、この「橋」は上野公園の端っこから根岸に渡る「凌雲橋」あたりかと、勝手に見当をつけておく。掲句は「鶯谷」を「うぐいす」と「谷」に割って表記したところがミソだ。割ったままで読むと、老いた友人たちと山の谷間を散策する作者が「うぐいす」の声のする方を見やると、小さな「橋」がかかっており、そこに「うぐいす」がいるような感じがしたという牧歌的な情景にうつる。しかし、割らないで読むと、いきなり舞台は都会に変転して、山手線は鶯谷近くの橋の上を、友人たちと歩いている光景になる。「うぐいす」と「谷」を分けることで、両方の光景がダブル・イメージとなって、読者に飛び込んでくる。言葉遊びではあるけれど、それに終わっていない。両者の主情がほのかに通い合い、絶妙の効果をあげている。実際は、都会の「鶯谷」の「橋の上」なのだ。クラス会か何かの帰りだろうと思う。若き日と同じように、みんなが囀るようにおしゃべりしているのだが、その声音には歴然と老いが感じられる。隠せない。そう言えば、ここは「うぐいす」「谷」だった。一瞬、人里離れた谷間で老いていく「うぐいす」のことも思われて、侘びしくもあり、どこかこの現実が信じられなく受け入れがたい気持ちでもあり……。みんな綺麗だったから、それこそ「鶯鳴かせたことも」あったのにと、作者は陽気に囀りながらも思うのである。ちょっと、言い過ぎたかな。『昭和俳句選集』(1977・永田書房)所載。(清水哲男)




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