午後は邦楽を聞きに行く。長唄の師匠の二階に下宿してから四十年後の三味線と唄。ちょいと泣けるかな。




2001ソスN4ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2242001

 先人は必死に春を惜しみけり

                           相生垣瓜人

ハハと笑って、少ししてから神妙な気分に……。掲句は、出たばかりの「俳句研究」(2001年5月号)に載っている宇多喜代子「読み直す名句」で知った。この連載記事は同じ雑誌の坪内稔典のそれと双璧に面白く、愛読している。宇多さんの選句のセンスが好きだ。以下、宇多さんの説明(部分)。「惜春の情とは、本来、自然にわき出るものである。それをあたかも義務のように『必死に』なって春を惜しんでいる。たしかに古い時代のインテリたちは、競って春を惜しむ句を残している。なにごとにも『必死に』になってしまうものを、おかしがっているような句である」。その通りなのだろうが、私の解釈はちょっと違う。実は、そんなに暢気な句ではなくて、自戒の一発ではなかろうか。俳句に夢中になると、季節が気になる。眼前当季に血がのぼり、それこそ必死に季節を追いかけまわす。ひいては季節を追いかける癖がつきすぎて、ブッキッシュな季語にまで振り回され、「季語が季節か、季節が季語か」。なにやら朦朧としている症状に、当人だけは気がつかぬ。そんな自分のありように、はっと気がついたのが折しも暮れの春。おそらくは「惜春」の兼題に難渋しつつ、歳時記めくりつつ、思えば自分には「自然に」春を惜しむ心がないと知ったのだ。したがって、皮肉でも何でもなく、すいっと吐いたのが、この一句。「先人『も』」とやらなかったところが、作者の人柄だ。めったに作句はせねど、毎日このコラムを書いていると、こういうふうにも読んでみたくなる。日曜日だし、いいじゃん……。と、見る間にも、行春を近江の人に越されけり。つまり、ここで神妙になったというわけ。(清水哲男)


April 2142001

 両手で顔被う朧月去りぬ

                           金子兜太

くはわからないけれど、しかし、印象に残る句がある。私にとっては、掲句もその一つになる。つまり、捨てがたい。この句が厄介なのは、まずどこで切って読むのかが不明な点だろう。二通りに読める。一つは「朧月」を季語として捉え「顔被う」で切る読み方。もう一つは「朧」で切って「月去りぬ」と止める読み方だ。ひとたび作者の手を離れた句を、読者がどのように読もうと自由である。だから逆に、読者は作者の意図を忖度しかねて、あがくことにもなる。あがきつつ私は、後者で読むことになった。前者では、世界が平板になりすぎる。幼児相手の「いないいない、ばあ」を思い出していただきたい。人間、顔を被うと、自分がこの世から消えたように感じる。むろん、錯覚だ。そこに「頭隠して尻隠さず」の皮肉も出てくるけれど、この錯覚は根深く深層心理と結びついているようだ。単に、目を閉じるのとは違う。みずからの意志で、みずからを無き者にするのだから……。掲句では、そうして被った両手の暖かい皮膚感覚に「朧」を感じ、短い時間にせよ、その心地よい自己滅却の世界に陶酔しているうちに「月去りぬ」となって、人が陶酔から覚醒したときの一抹の哀感に通じていく。私なりの理屈はこのようだが、句の本意はもっと違うところにあるのかもしれない。従来の「俳句的な」春月を、あえて見ようとしない作者多年の「俳句的な」姿勢に発していると読めば、また別の解釈も成立する。と、いま気がついて、それこそまた一あがき。『東風抄』(2001)所収。(清水哲男)


April 2042001

 もの問へば接穂くはえてゐたりけり

                           飴山 實

語は「接穂(つぎほ)」で、春。接ぎ木をするときに、砧木(だいぎ)に接ぐ芽の付いた枝のことを言う。「話の接穂がない」などは、ここから出た言葉だ。何やら農作業をしている人に、道でも尋ねたのだろうか。振り向いた人が、接穂を口にくわえていた。ただそれだけのことながら、くわえられた接穂が、あざやかに春の息吹を感じさせる。それも、その人が振り向いた一瞬を捉えての描写なので、余計にあざやかな印象を残す。こうした表現は、俳句でなければ実現できないことの一つだろう。接ぎ木は、いわば夢の実現を目指す伝統的なテクニックである。渋柿の木に甘い柿がなってくれたらと、遺伝子などという考えもない昔の人が、試行錯誤をくりかえしながら開発した方法だ。物事の不可能を表す言葉に「木に竹を接ぐ」があるけれど、これだって、おそらくは試みた人がたくさんいたに違いない。何度やっても、どう工夫しても駄目なので、ついに不可能という結論に達したのだと思われる。現代の品種改良の難題として有名なのは「青いバラ」の実現だ。バラも接ぎ木で改良が重ねられてきたが、経験則での「青いバラ」実現は、木に竹を接ぐような話とされている。そこでどこかの企業がプロジェクトを組んで、遺伝子の側から演繹的に攻めているそうだ(改良途中の花の写真が、新聞に載ったことがある)。でも、夢は失敗の経験を帰納的に積み上げた果てに実現するのでないと、夢そのものの価値が薄れてしまう。「交番でばらの接木をしてゐるよ」(川端豊子)でないと、ね。「夢」を季語にするとしたら、やはり春だ。『少長集』(1971)所収。(清水哲男)




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