小泉エンターテインメント内閣誕生。目先を追った自民の結論だが、国会は週刊誌じゃない。短慮也。




2001ソスN4ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2742001

 つちふるや嫌な奴との生きくらべ

                           藤田湘子

語は「つちふる」で春。漢字では「霾(ばい)」なる難しい文字で表記し、定義は風の巻き上げた砂塵が空中にかかったり降ったりすること。雨冠の下の「豸(むじな)偏に里」という字には「埋める」という意味があるそうだ。我が国の気象用語では、おしゃれに「黄砂」と言っている。こいつが発生すると、あちらこちらがじゃりじゃりとして、まことに鬱陶しいかぎりだ。「嫌な奴」のように、いちいち神経に触る。この句のよさは、還暦以前の若い読者には伝わらないかもしれない。言っている意味を表面的には受け止められても、何故こんなことを句にするのかと、作者の真意を測りかねる人が大半だろう。むろん還暦後ぴったりというわけではないけれど、その年齢あたりから、人は常に「死」を意識しはじめる。病床にある人のように濃厚ではないが、何かのきっかけで「死」がひょいと顔を出す。駆け出しの六十代である私なども、一度も「死」を思わない日はなくなってしまった。起床すると「死」を思い、逆に言えば生きていることの不思議を思い、そんなときには何故か「死んでたまるか」と一人力み返るのだから滑稽でもある。たぶん、黄色い微小な砂粒を浴びながらはるか年長の作者が思うことも、程度の差はあれ、同じような気がする。「生きくらべ」は稚気丸出しの表現に見えて、老人には刹那的に切実なそれなのだ。とにかく、自分がいま死んだら「嫌な奴」に負けてしまう。でも、かといって、そいつよりも長生きすることを、今後の生き甲斐にするわけでもないのである。ふっとそう思い、ふっと吐いてみたまで……。一瞬の恣意的な「生きくらべ」なのであり、年寄りの心の生理に、実にぴったりと通う句ができた。「俳句」(2001年5月号)所載。(清水哲男)


April 2642001

 爪深く立てても女夏みかん

                           藤田津義子

前は「夏蜜柑」だけれど、出回るのが春なので春の季語。我が山口県は萩の名産なり。美味なり。しかし、あの剥きにくさには閉口させられる。掲句はそこを詠んだものだが、力いっぱい爪を立ててはみたけれど、そこからニッチもサッチもいかなくなった。そこで、困惑しながら「女」の非力を感じている。「夏蜜柑」を剥くというささやかな行為から、すっと「女」を意識したところが面白い。「立てても」の「も」に注目せざるをえないが、作者は他の日常的な場面でも、しばしば「女」を感じていることになる。それを一般的と言ってよいのかどうか、私にはわからないが……。ところが逆に大の男でも、卓上のちっぽけな瓶の蓋が開けられなかったりする。それが、女性に頼むと簡単に開く。力ではなくて、慣れから来るコツを心得ているからだ。そんなときに私などは、役立たずという意味での「男」を感じてしまう。掲句の作者も、瓶の蓋であれば苦もなく開けられるだろうし、「女」を意識することもないだろう。当然、句など涌いてはこない。多く人は、マイナス・イメージから自分を発見する。ところで、こんな句も見つけた。「憎しみのごと爪立てて夏柑剥く」(後藤綾子)。そうか、ニッチもサッチもいかなくなったら「憎しみ」を援軍に呼べばいいのか……。こういう思いは、「男」にはなかなか起きないものだ。むしろこの句のほうに、私は「女」を感じさせられた。『今はじめる人のための俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


April 2542001

 乙鳥はや自転車盗られたる空を

                           小川双々子

の場合の「乙鳥」は「つばめ」「つばくら」「つばくろ」いずれの読みでもよいだろう。そんなに長くかかる用事でもないからと、駐輪場には停めずに、ちょっとそのあたりに置いておいた。さて帰ろうかと出てくると、自転車がない。私も盗られたことがあるのでわかるのだが、こういうときには、すぐに盗難にあったとは思わないものだ。置いた場所を間違えたのか、あるいは邪魔なので誰かが移動したのかと、しばし探しにかかる。でも、いくら探しても見当たらない。自分のと似たような自転車に触ってみたりしながら、だんだん盗まれたらしいという懸念が現実化してくる。弱ったなあ。不思議なもので、こういうときには何故か誰もが空をあおぎ見るようだ。と、まぶしい空を滑るように飛んできたのが初「乙鳥」だった。そこで作者は束の間、「はや」こんな季節になったのかと、途方に暮れている気持ちを忘れてしまうのである。燕は、とにかく勢いよく飛ぶ。その勢いが、人の日常的な困惑やら思いやらを、一瞬断ち切るように作用する。作者にはお気の毒ながら、自転車を盗られることで、飛ぶ「乙鳥」の心理的効果がはじめて鮮やかに具象化されたわけだ。おーい「乙鳥」よ、私の「自転車」をどっかで見かけはせなんだかーい……。『新大日本歳時記・春』(2000)所載。(清水哲男)




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