ト赴

April 2942001

 春の雨郵便ポストから巴里へ

                           浅井愼平

者は、ご存知のカメラマン。雨降りの日に投函するとき、傘をポストにさしかけるようにして出しても、ちょっと手紙が濡れてしまうことがある。私などは「あっ、いけねえ」としか思わないが、なるほど、こういうふうに想像力を働かせれば、濡れた手紙もまた良きかな。この国のやわらかい「春の雨」が、手紙といっしょに遠く「巴里(パリ)」にまで届くのである。彼の地での受取人が粋な人だったら、少しにじんだ宛名書きを見ながら、きっと日本の春雨を想像することだろう。そして、投函している作者の様子やポストの形も……。手紙の文面には書かれていない、もう一通の手紙だ。愼平さんの写真さながらに、知的な暖かさを感じさせられる。本来のウイットとは、こういうものだろう。手紙で思い出した、昔のイギリスでのちょっといい話。遠く離れて暮らす貧しい姉弟がいた。弟の身を気づかう姉は、毎日のように手紙を出した。しかし、配達夫が弟に手紙を届けると、彼は必ず配達夫に「いらないから」と戻すのだった。受取拒絶だ。当時の郵便料金は受取人払いだったので、貧しい彼には負担が重すぎたのだろう。ある日、たまりかねて配達夫が言った。「たまには、読んであげたらどうでしょう」。すると弟は、封筒を日にかざしながら微笑した。「いや、いいんですよ。こうやって透かしてみて、なかに何も入っていなかったら、姉が元気でやっているというサインなのですから」。イギリスは、郵便制度発祥の地である。『二十世紀最終汽笛』(2001・東京四季出版)所収。(清水哲男)


December 26122001

 雪くれて昭和彷う黒マント

                           浅井愼平

門俳人は、採らないかもしれない。季重なり(「雪」と「マント」は両方冬季)でもあり、「雪くれて」と「行きくれて」の掛け具合も、単なる思いつきといえばそうとも言えるからだ。しかし私には、こういう句はもっと作られるほうがよいと思われた。時代全体のありようを、心象風景的に視覚化してみせたところが実に新鮮だ。時代を詠むにしても、現実の視覚から時代を捉えて仕立て上げるのが多く従来の俳句だとすれば、掲句は時代の持つ漠たる観念性や雰囲気を先につかまえてから作句している。逆方向から、アプローチしている。もとより、従来の句も掲句の場合も、作者はそのあたりのことを截然と方法的に意識しているわけではないだろう。ないけれど、強いて誇張して考えれば、そういうことだと思える。この「黒マント」の人は、何者だかわからない。雪の日の夕暮れにどこからともなく現れ、「行きくれ」たような足取りで、たそがれてゆく「昭和」という時代を彷(さまよ)っているのである。夕暮れの「雪」の灰色がかった白と「マント」の黒とが、やがては夜の闇に同化していくことを想像すれば、読者には「黒マント」の人それ自体が「昭和」のように思えてくるだろう。いわば「昭和の亡霊」か。そして、今の平成の世にもなお、この人は彷いつづけているのだろうとも。『二十世紀最終汽笛』(2001)所収。(清水哲男)


July 1672008

 雲ひとつ浮かんで夜の乳房かな

                           浅井愼平

季句。季語はないけれども厳寒の冬ではなく、春あるいは夏の夜だろうと私には思われる。まだ薄あかるく感じられる夜空に、白い雲が動くともなくひとつふんわりと浮かんでいる。雲というものは人の顔にも、動物の姿などにも見てとれることがあって、それはそれでけっこう見飽きることがない。雲は動かないように見えていて、表情はそれとなく刻々に変化している。この句の場合、雲はふくよかな乳房のように愼平には感じられたのであろう。対象を見逃さない写真家の健康な想像力がはたらいている。遠い夜空に雲がひとつ浮かんでいて、さて、目の前には豊かな乳房があらわれている――という情景ととらえてもよいのかも知れない(このあたりの解釈は分かれそうな気がする)。そうだとしても、この句にいやらしさは微塵もない。夜空の雲を見あげる写真家の鋭いまなざしと、豊かな想像力が同時に印象深く感じられる。カメラのピントもこころのピントもぴたりと合っていて、確かなシャッターの音までもはっきりと聞こえてきそうである。「色のなき写真の中のレモンかな」という別の句にも、同様に写真家によるすっきりした構図といったものが無理なく感じられる。『夜の雲』(2007)所収。(八木忠栄)




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