旅の空の下のみなさま、お土産はいりませんから十分に楽しんでください。心なしか東京は静かですよ。




2001ソスN4ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 3042001

 鳥篭の中に鳥とぶ青葉かな

                           渡辺白泉

葉の季節。軒先に吊るされた「鳥篭」のなかで、鳥が飛ぶ。普通に読んで、平和な初夏の庶民的なひとときがイメージされる。もう少し踏み込んで、青葉の自然界に出るに出られぬ篭の鳥の哀れを思う読者もいるだろう。いずれにしても、このあたりで私たちの解釈は止まる。それで、よし。ところで、この句は敗戦後三年目の作品だ。作者の白泉は、戦前の言論弾圧で検挙された履歴を持つ。戦前句には「憲兵の前で滑つてころんじやつた」「戦争が廊下の奥に立つてゐた」などがある。こういうことを知ってしまうと、解釈は一歩前進せざるを得なくなる。時こそ移れ、時代が如何に変わったとしても、白泉の時代揶揄や社会風刺の心は生きていると思うと、掲句をその流れにおいて読むということになる。すなわち、戦後民主主義批判の句であると……。主権在民男女平等などは、しょせん篭の鳥のなかで飛ぶ鳥くらいの自由平等じゃないかと……。こう読むと、せっかくの美しい青葉の情景も暗転してしまう。イヤな感じになる。俳人はよく「一句屹立」と言う。いわゆるテキストだけで、時代を越えて永遠の生命を得たいという夢を託した言葉だ。その意気は、ひとまずよしとしよう。だが、「そんなことができるもんか」というのが私の考えだ。あのメーテルリンクの教訓劇『青い鳥』の鳥だって、最後には逃げてしまい、いまだに行方不明なのだ。「一句屹立」の行き着くところは、束の間の青い鳥を自前の鳥篭で飛ばそうとすることでしかない。時代が変われば、解釈も変わるのだ。その証拠が、たとえば掲句である。白泉の仕込んだワサビは、もはや誰にも効かなくなった。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)


April 2942001

 春の雨郵便ポストから巴里へ

                           浅井愼平

者は、ご存知のカメラマン。雨降りの日に投函するとき、傘をポストにさしかけるようにして出しても、ちょっと手紙が濡れてしまうことがある。私などは「あっ、いけねえ」としか思わないが、なるほど、こういうふうに想像力を働かせれば、濡れた手紙もまた良きかな。この国のやわらかい「春の雨」が、手紙といっしょに遠く「巴里(パリ)」にまで届くのである。彼の地での受取人が粋な人だったら、少しにじんだ宛名書きを見ながら、きっと日本の春雨を想像することだろう。そして、投函している作者の様子やポストの形も……。手紙の文面には書かれていない、もう一通の手紙だ。愼平さんの写真さながらに、知的な暖かさを感じさせられる。本来のウイットとは、こういうものだろう。手紙で思い出した、昔のイギリスでのちょっといい話。遠く離れて暮らす貧しい姉弟がいた。弟の身を気づかう姉は、毎日のように手紙を出した。しかし、配達夫が弟に手紙を届けると、彼は必ず配達夫に「いらないから」と戻すのだった。受取拒絶だ。当時の郵便料金は受取人払いだったので、貧しい彼には負担が重すぎたのだろう。ある日、たまりかねて配達夫が言った。「たまには、読んであげたらどうでしょう」。すると弟は、封筒を日にかざしながら微笑した。「いや、いいんですよ。こうやって透かしてみて、なかに何も入っていなかったら、姉が元気でやっているというサインなのですから」。イギリスは、郵便制度発祥の地である。『二十世紀最終汽笛』(2001・東京四季出版)所収。(清水哲男)


April 2842001

 蛙囃せ戦前小作今地主

                           中元島女

戦後しばらくの間ならば、誰もが知っていた「農地改革」を知らないと、理解できない。そこで、手元の『広辞苑』を引いてみる。「(前略)GHQの指令に基づき第二次大戦後の民主化の一環として1947〜50年に行われた土地改革。不在地主の全所有地と、在村地主の貸付地のうち都府県で平均1町歩、北海道で4町歩を超える分とを、国が地主から強制買収して小作人に売り渡した。この結果、地主階級は消滅し、旧小作農の経済状態は著しく改善された」。おおむね正しい説明だけれど、最後の件りは必ずしも正しくないよと、当時の現場の人が言っているのだ。アメリカさんのおかげで「小作」の身分から解放され、自分も夢のような「地主」になることができた。が、経済状態は改善されるどころか、以前よりも苦しくなってしまった。そういうことを、言っている。呑気な現代の辞書のライターにはわかるまいが、在来の大地主がしぶしぶ手放した土地は、多く痩せた土地だったのだ。証拠は、往時の実りの秋を迎えたときに、そこらへんの田畑を見回してみるだけで、子供にすら隠しようもないほどに明白に現われていた。肥沃な土地と痩せた土地との格差は大きい。つまり、アメリカさんは面積の「民主主義」を強制しただけで、肥沃のそれは抜かしてしまったのである。迂闊と言うよりも、ヘリコプターで種を蒔くようなアメリカとの農地の差を、彼らが理解していなかったせいである。だから、せっかくの新米地主も、農民にとっての多忙な黄金週間に、つい愚痴の一つも吐きたくなったというのが、この句だ。「蛙囃(はや)せ」には、名前だけは立派な「地主」たる自分を滑稽に突き放してはみたものの、泣き笑いもかなわぬ不安の心が浮き上がっている。上手な句ではないけれど、このように時代を簡潔に記録することも俳句の得手だという意味で、紹介してみた次第。他意はない。いや、少しはあるかな。ある。『俳諧歳時記・春』(1951・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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