高校時代は、連日「ハヤ弁」だった。二時間目が終わると食べてしまい、昼は食堂で18円の素うどん。




2001ソスN5ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1452001

 ポケットの蛇放しけり四時間目

                           泉田秋硯

たずらだ。昭和初期に小学生だった作者の「四時間目」は、昼休みの前なのか後だったのか。いずれにしても、授業に飽きてくる時間帯だろう。ここで床に蛇を放てば、当然一騒動持ち上がって、授業は目茶苦茶になる。先生も、まさか誰かのポケットから放たれたとは思わないだろうから、叱られるおそれもない。どこにでも蛇がいた時代ならではの茶目っ気である。かりに掲句を外国語に直訳すると、ただ作者はにやにやしているだけだが、日本語の「けり」には逆に懐旧万感の思いが沈み込んでいる。よくぞ日本に生まれ「けり」だ。この句を読んで、我が人生最大のいたずらは何だったろうと思い返してみた。小心者だから、たいしたいたずらはやっていない。情けない。やっぱり、アレかなあ。やっぱり、アレくらいしか思い出せない。でも、アレは本当に自分でやったのか、それともアイディアだけを提供したのだったか。とりあえず、首尾は上々だった。冬場の授業中、教室中央の大火鉢に、それこそ「ポケット」から「蛇」ならぬ「トウガラシ」を放り込んだだけだったのだが……。しかし、こいつは多分「蛇」よりも効き目があったと思う。あっという間に、全員がクシャミの連発となり涙が止まらなくなり、とても授業どころではなくなってしまった。後に体験した催涙弾と同じほどの効果があった。もとより実行犯は、最初から袖で鼻を押さえているので、みんなが教室から脱出する間に、悠々と証拠は隠滅できたというわけだ。ごめんなさい。『宝塚より』(1999)所収。(清水哲男)


May 1352001

 泉汲むや胸を離れし首飾

                           猪俣千代子

集『堆朱』に所収というが、「俳句」(2001年5月号)の特集「夏の山野」で知った。自註に「一の倉沢から土合へ下りる途中の泉であり、生き返るようであった」とある。と言われても、私には未験の山だから、具体的な光景は浮かんでこない。でも、これはどこの山道だってよいわけで、眼目は「胸を離れし」にある。こしゃくな若者だったころに、私もペンダントをちゃらちゃらさせていたことがあるので、句の概要には身体的に思い当たる。泉を汲むために身をかがめれば、自然に「首飾」は「胸」から垂れて落ちる。当たり前だ。そのことだけを詠んだ句ではあるけれど、どことなく色っぽいのは何故だろう。「胸」のせいもあるだろうが、多分にこの色気は「離れし」という言葉から来ているのだと思う。つまり単に「垂れた」のだが、作者はひっついていた物が「離れ」たと詠んでいる。すべての身体的装飾品は、身体のしかるべきところに位置を占めることで、装飾の役割を果たす。そして、それがしかるべき位置を占めているときには、さながら身体そのもののように感じられる。当人だけではなくて、他人にも、だ。それが、思いがけなくも垂れてしまった。すなわち、一瞬かつ微少ながらも、身体のバランスが崩れたのである。色気とは、そんな身体の微妙なバランスの崩れや揺れに感じられるものではあるまいか。このときに「離れ」とは、「胸」の汗による粘着をも想起させる言葉でもあるので、「垂れ」よりも余計にバランスを崩したことになる。(清水哲男)


May 1252001

 線と丸電信棒と田植傘

                           高浜虚子

わず笑ってしまったけれど、その通り。古来「田植」の句は数あれど、こんなに対象を突き放して詠んだ句にはお目にかかったことがない。田植なんて、どうでもいいや。そんな虚子の口吻が伝わってくる。芭蕉の「風流の初やおくの田植うた」をはじめ、神事とのからみはあるにせよ、「田植」に過大な抒情を注ぎ込んできたのが田植句の特徴だ。そんな句の数々に、虚子が口をとんがらかして詠んだのだろう。だから正確に言うと、虚子は「田植なんて」と言っているのではなくて、「田植『句』なんて」と古今の歌の抒情過多を腹に据えかねて吐いたのだと思う。要するに「線と丸だけじゃねえか」と。何度も書いてきたように、私は小学時代から田を植える側にいたので、どうも抒情味溢れる句には賛成しがたいところがある。多くが「よく言うよ」なのだ。田植は見せ物じゃない。どうしても、そう反応してしまう。我ながら狭量だとは感じても、しかし、あの血の唾が出そうな重労働を思い返すと、風流に通じたくても無理というもの。明け初めた早朝の田圃に、脚を突っ込むときのあの冷たさ。日没ぎりぎりまで働いて腰痛はひどく、食欲もなくなった腹に飯を突っ込み、また明日の単調な労働のために布団にくるまる侘びしさ。そんな体験者には、かえって「線と丸」と言われたほうが余程すっきりする。名句じゃないかとすら思う。その意味からして、田植機が開発されたときには、もう我が身には関係はないのに、とても嬉しかった。これで農村の子供は解放されるんだと、快哉を叫んだ。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)




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