気がついたらパソコン付けっぱなしで、坐ったまま昼寝。一時間ばかり寝ていたろうか。平和ボケ。




2001ソスN6ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0462001

 つかみ合子供のたけや麦畠

                           垂葉堂游刀

来の作という説もある。それにしても「垂葉堂游刀(すいようどう・ゆうとう)」とは、ユニークな名前だ。能楽師。見事に伸び揃った麦の畑で、二人の子供が取っ組み合いの喧嘩をしている。「子供のたけ」は麦のそれくらいというのだから、小さな子供らだ。この喧嘩、放っておいても大事にいたる心配はない。むしろ元気があって大いによろしいと、作者は微笑している。この元気が麦の元気と照応して、今年もよく実った麦の出来を素直に喜ぶ気分が溢れ出た。この句について山本健吉は「裏に麦ぼめの伝統が生きていよう」と指摘しているが、江戸期の読者ならうなずけるところだろう。「麦ぼめ」とは「正月二十日。麦とろを食べてから麦畑に出て、麦をほめる唱え言をする風習。中国地方の山間部などに残る」と、『広辞苑』にある。現代の園芸でも、褒め言葉を声に出しながら花を育ててやると、より奇麗に咲くという話はよく聞く。ましてや、麦作は農家の生命線だ。風習としての「唱え事」も、さぞかし熱を帯びていたにちがいない。一見形骸化したような言葉でも、しかるべきシチュエーションで実際に口に出してみると、にわかに実質を取り戻すから不思議だ。この場合の実質は「いつくしみの心」である。『猿蓑』所収。(清水哲男)


June 0362001

 床下を色鯉の水京の宿

                           桂 信子

語は「色鯉」。緋鯉や錦鯉など、金魚と同様に涼味を呼ぶことから夏の季語とされてきた。京都には都合六年間ほど住んだが、祇園辺りの「京の宿」のたたずまいならばともかく、門の内側の世界はまったく知らない。当たり前だ。そういうところに宿泊する必要がないのだから、何十年暮らそうとも、地元の人は宿屋と縁のあろうわけがない。その京都時代に、吉井勇の「かにかくに祇園は恋し寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる」を知り、ああそんな構造になっている宿もあるのかと、祇園を通りかかるとき、ふとこの歌のことを思ったりした。粋なのか、はたまた演出過剰気味なのか。実際を知らないのだから何とも言えないが、掲句を見るとなかなかに心地よい造りのようだ。床下に水が流れ「色鯉」が流れていると想像するだけで、作者のいる部屋空間がこの世からちょっと浮き上がっているように思える。思っているうちに、この「色鯉」が自然に水の流れのように「色恋」にも通じていく。作者の実際は知らねども、しかしこのときの「色鯉(色恋)」はあくまでも「床下」にあるのであって、句における作者は一人である。その一人がいまここでこうして浸っているのは、一人ではなかったかつての「京の宿」の想い出ではなかろうか。『彩』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


June 0262001

 どくだみの花いきいきと風雨かな

                           大野林火

が家の近所には「どくだみ」が多い。あちこちに、群がって自生している。このあたりは古い地名では「品川上水」と言い、清水を通す大きな溝が掘られていて、全体的に湿地であったせいだろう。「どくだみ」は陰湿の地を好み、しかも日陰を好む。梅雨期を象徴するような花だ。川端茅舎に「どくだみや真昼の闇に白十字」の一句があるように、この花と暗さとは切っても切れない関係にある。その上にまた特異な臭気を放つときているから、たいていの人からは嫌われている。そのことを当人たち(!?)も自覚しているかのように、ひっそりと肩寄せ合って地味に生きている。その嫌われ者が、折からの「風雨」のなかで「いきいきと」していると言うのだ。物みな吹き降りの雨に煙ってしょんぼりしているなかで、「白十字」たちのみが「いきいき」と揺れている姿に、作者は感動を覚えた。雨の日の外出を鬱陶しく思っている心に、元気を与えられたのである。「どくだみ」は、十の薬効を持つと言われたことから「十薬(じゅうやく)」とも賞されてきた。「十薬の芯高くわが荒野なり」(飯島晴子)。ただし、正確にはこの黄色い穂状の「芯」の部分が花で、「白十字」は花弁ではなく苞(ほう)なのだそうだ。『俳句の花・下巻』(1997・創元社)所載。(清水哲男)




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