June 082001
団扇絵にあるまじき絵のなかりけり
尾崎迷堂
何も描かれていない「白団扇」もあるが、たいていの団扇(うちわ)には、うっすらと涼しげな絵が描かれている。しかも作者の言うように、たしかに「団扇絵にあるまじき絵」にはお目にかかったことはない。描く人たちが示し合わせたわけでもないのに、みんな似たりよったりの構図であり絵柄である。これが扇子(せんす)だと、事情は異なるだろう。扇子らしい絵と言われても、なくはないけれど、団扇のようには普遍性がない。扇子は個人の持ち物、団扇は共有物。この差から来ている。句の言うことは当たり前なのだが、着眼としてはかなりユニークだ。同じ団扇を見るにしても、このアングルはなかなか出てこない。それでいて、単に奇異な味の句をねらったのではなく、ちゃんと団扇の特性を押さえている。すっとぼけた可笑しみもある。ただし、この手法は一度限り。作者もまた読者もが、二度とは使えない。たとえば「銭湯にあるまじき絵のなかりけり」でも面白いが、掲句があるからには、二番煎じもいいところとなる。ときどき、こういう句がある。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
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