時の記念日。エジソン曰く「少年よ、時計を見るな」。少年じゃない私は、毎日時計とにらめっこ。




2001ソスN6ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1062001

 人叩く音にて覚めし昼寝かな

                           中村哮夫

目覚めるときに聞こえる音は、たいてい決まっている。カラスの鳴き声や鳥のさえずりであったり、新聞配達の人が駆けていく足音であったりと、耳慣れた音である。ところが昼間となると、実にいろいろな音がする。朝のように慣れた音ではなかなか目が覚めないけれど、昼の不意で雑多な音には慣れていないので、音で目が覚めることが多い。句はまずそのことを言っていて鋭いが、事もあろうに「人叩く音」というのだから穏やかではない。寝ぼけつつも、体内をサッと緊張感が走り抜けただろう。一瞬身構えて、半身を起こしたかもしれない。しかし、これはおそらく夢に混ざり込んできた音であって、現実の音は「人叩く音」ではなかったと思う。夢の中身に、タイミングよく何かの音が呼応して、それが「人叩く音」に聞こえてしまったのだ。かりに現実の音と読めば、句としては平凡すぎて面白くない。誰だって、現実の「人叩く音」には目覚めて当然だろうからだ。それにしても、いまの生臭いような音は何だったのか。作者は徐々に覚醒してくる意識のなかで、しきりに首をひねっている。表はまだ明るい。夢でよかった。読者の私も、そう思った。『中村嵐楓子句集』(2001)所収。(清水哲男)


June 0962001

 薫風に膝たゞすさへ夢なれや

                           石橋秀野

書に「山本元帥戦死の報に」とある。大戦中の連合艦隊司令長官であり、国民的に人気のあった山本五十六がソロモン諸島上空で戦死したのは、1943年(昭和十八年)四月十八日のことだった。八十八夜のずっと前だから、いまだ「薫風」の季節ではありえない。では何故、句では「薫風」なのか。時の政府が山本の戦死を、一ヶ月ほど隠していたからである。すぐに発表すれば、あまりにも国民の動揺が大きすぎるとの判断から、事実が自然に漏れ出るぎりぎりまで延ばしたのだった。発表されたのは五月も下旬、国葬は六月に行われている。しかし、これで多くの人たちが否応なく戦局不利を実感してしまう。戦死の報に触れたときに、作者は思わずも「膝をたゞ」した。「こんなことがあって、よいものか」。いまこうして自分が居住まいを正していることさえ「夢なれや」、信じられない。すがすがしい「薫風」との取り合わせで、鮮やかに悲嘆落胆の度合いが強まった。時局におもねっているのではなく、作者は本心で五十六の死に呆然としている。当時世論調査が行われていれば、山本元帥の支持率は限りなく100パーセントに近かったろう。最近の小泉首相高支持率の中身が気にかかるので、いささか季節外れ(時節外れ)の掲句を扱ってみたくなった。『定本 石橋秀野句文集』(2000)所収。(清水哲男)


June 0862001

 団扇絵にあるまじき絵のなかりけり

                           尾崎迷堂

も描かれていない「白団扇」もあるが、たいていの団扇(うちわ)には、うっすらと涼しげな絵が描かれている。しかも作者の言うように、たしかに「団扇絵にあるまじき絵」にはお目にかかったことはない。描く人たちが示し合わせたわけでもないのに、みんな似たりよったりの構図であり絵柄である。これが扇子(せんす)だと、事情は異なるだろう。扇子らしい絵と言われても、なくはないけれど、団扇のようには普遍性がない。扇子は個人の持ち物、団扇は共有物。この差から来ている。句の言うことは当たり前なのだが、着眼としてはかなりユニークだ。同じ団扇を見るにしても、このアングルはなかなか出てこない。それでいて、単に奇異な味の句をねらったのではなく、ちゃんと団扇の特性を押さえている。すっとぼけた可笑しみもある。ただし、この手法は一度限り。作者もまた読者もが、二度とは使えない。たとえば「銭湯にあるまじき絵のなかりけり」でも面白いが、掲句があるからには、二番煎じもいいところとなる。ときどき、こういう句がある。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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