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June 1762001

 方丈の五桁算盤扇風機

                           中村石秋

儀か法事の段取りの相談だろう。禅寺の「方丈(ほうじょう)」に通された。めったに入る部屋ではないので、緊張して僧を待つことしばし。そのうちに部屋の空気にも慣れ、見回して目についたのが「五桁算盤(ごけたそろばん)」と「扇風機」だった。使い込まれて黒光りした算盤と、おそらくは最新型の扇風機と。この取り合わせも面白いが、句の眼目はそこだけにはない。この二つの物は俗界のものであり、寺には似合わないものと、作者は感じたのだ。坊さんが算盤をはじいて金勘定に励んだり、無念無想の境地にある和尚が胸をはだけて、事もあろうに扇風機の風を受けたりしてはいけないのだ。むろん作者とて、寺には経営があることも、坊さんだって暑いときには暑いことも知っている。しかし、その楽屋をこのようにあからさまにされると、何だか有難みが薄まってしまう思いになるではないか。ここが眼目。寺でなくとも、普通の家庭を訪問しても、この種の軽い失望感に見舞われることがある。主人に抱いていたイメージが、部屋の置物ひとつでこわれてしまうことが……。編集者だったから、いろいろなお宅へ伺ったが、この点に気を使っていた一人が、劇作家の飯沢匡だった。どんなに親しくなっても、書斎には通さなかった。「だってキミ。オレがなんで『手紙の書き方』なんて本を持ってるのか、詮索されるのはイヤじゃないか」。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所収。(清水哲男)




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