ジャンクメールが多いなあ。さっぱりわからぬ中国語やら何やら。最も迷惑なのが大容量のヤツだ。




2001ソスN6ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1962001

 鮓店にほの聞く人の行方かな

                           正岡子規

じみの「鮓(すし)店」。客もたいていがおなじみの面々だ。といってもお互いに深いつきあいはなく、顔を合わせれば「やあ」と言ったり目礼したりする程度。名前も職業も知らない人もいる。そんな常連の一人が、最近ぱたりと顔を見せなくなった。何となく気になるので、「どうしたのかなあ」と主人に尋ねてみる。「私もよくは知りませんが……」と話してくれた主人の言で、ぼんやりとではあるが「行方」などが知れた。尋ねるほうも話すほうも、何がなんでも事情や所在を知ろうというわけではないので、会話は「ふうん」くらいで終わってしまう。それが「ほの聞く」。常連の多い店の会話は、だいたいこんなものだ。詮索好きの客や主人がいるとしたら、人は寄ってこない。付かず離れずの関係でいられるからこそ、居心地がよいのである。客は、いわば雰囲気も同時に食べている。そんな「鮓店」のよい雰囲気を、さらりと伝えた佳句だ。いまどきの回転鮨屋では、こうはいかない。ハンバーガー・ショップなどでもそうだが、腹ごしらえさえできればよいという店が跋扈している。逆に雰囲気を求めようとすれば高くつくし、この二十年ほどは、行きつけの店のないままに暮らしてきた。高浜虚子選『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


June 1862001

 おおかみに螢が一つ付いていた

                           金子兜太

の性(さが)、狷介にして獰猛。洋の東西を問わず、物語などでの「おおかみ」は悪役である。ただし、腐肉を食べるハイエナとは違って、心底からは嫌われてはいないようだ。恐いには恐いけれど、どこか間が抜けていて愛嬌もある。犬のご先祖なので、ハイエナ(こちらは猫の仲間)には気の毒だが、陰険を感じさせないからだろう。この句も、もちろんそうした物語の一つ。「螢が一つ付いて」いる「おおかみ」の困ったような顔が浮かんできて、ますます憎めない。と同時に感じられるのは、彼の存在の尋常ではない孤独感である。目撃談めかして書かれてはいるが、この「おおかみ」は作者自身だろう。みずからを狼に変身させて、おのれのありようをカリカチュアライズすると、たとえばこんな風だよと言っている。ここ二十年ほどの兜太句には、猪だの犀だの象だの狸だのと、動物が頻出する。このことを指して、坪内稔典は「老いの野生化」と言い(「俳句研究」2001年7月号)、それが「おそらく兜太の理想的な老いである」と占っている。となれば、人は老いて木石に近づくという「常識」ないしは「実感」は、逆転されることになる。死に際まで困った顔をするのが人なのであり、木石に同化しようとするのは気休め的なまやかしだと、掲句は実に恐いことを平然と言っていることになる。まさに「おおかみ」。句集で、この句の前に置かれた句は「おおかみに目合の家の人声」だ。こっちも、孤独の物語としてハッとさせられる。「目合」には「まぐわい」、「人声」には「ひとごえ」とルビがふられている。兜太、八十二歳。ダテに年くってない表現の力。『東国抄』(2001)所収。(清水哲男)


June 1762001

 方丈の五桁算盤扇風機

                           中村石秋

儀か法事の段取りの相談だろう。禅寺の「方丈(ほうじょう)」に通された。めったに入る部屋ではないので、緊張して僧を待つことしばし。そのうちに部屋の空気にも慣れ、見回して目についたのが「五桁算盤(ごけたそろばん)」と「扇風機」だった。使い込まれて黒光りした算盤と、おそらくは最新型の扇風機と。この取り合わせも面白いが、句の眼目はそこだけにはない。この二つの物は俗界のものであり、寺には似合わないものと、作者は感じたのだ。坊さんが算盤をはじいて金勘定に励んだり、無念無想の境地にある和尚が胸をはだけて、事もあろうに扇風機の風を受けたりしてはいけないのだ。むろん作者とて、寺には経営があることも、坊さんだって暑いときには暑いことも知っている。しかし、その楽屋をこのようにあからさまにされると、何だか有難みが薄まってしまう思いになるではないか。ここが眼目。寺でなくとも、普通の家庭を訪問しても、この種の軽い失望感に見舞われることがある。主人に抱いていたイメージが、部屋の置物ひとつでこわれてしまうことが……。編集者だったから、いろいろなお宅へ伺ったが、この点に気を使っていた一人が、劇作家の飯沢匡だった。どんなに親しくなっても、書斎には通さなかった。「だってキミ。オレがなんで『手紙の書き方』なんて本を持ってるのか、詮索されるのはイヤじゃないか」。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所収。(清水哲男)




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