本日午前六時より「掲示板」は夏休みに入りました。勝手に疲れての勝手な休暇です。ご容赦を…。




2001ソスN7ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1572001

 時の来て朴と涼しき別れかな

                           中山世一

に入りました。「別れ」の内実はともかく、すべての別れがこうであったらなあと、事実かどうかには関係なく、ここには作者の「別れ」への理想形が表れていると愚考します。「朴(ほお)」は現実の朴でもありますが、、吐息としての「ほお(っ)」でもあるでしょう。「朴」の木は、たしかに「ほお」というほどの高木であり、またそれくらいの印象で終わってしまう木のような気がします。私の田舎でも、いつも朴は「ほお(っ)」と立っていました。下駄の素材になるのだよと、教室で教わりました。人はとかく「別れ」に際して内省的にせよ、いろいろと暑苦しい理屈や感想を並べたくなるものです。仮に「時の来て」と、あらかじめわかりきっている、いわば当然の「別れ」についても……です。そのほうが普通なのでしょうが、たまには僥倖としか言いようのない「涼しき別れ」に恵まれることもなくはないでしょう。掲句を読んで、いくつかの「別れ」を思い出しました。「じゃあね」と軽く手を振って「ぼくらは死ぬまで別れられるのである」なあんて、そんな詩を書いたこともありましたっけ。以上の感想は、もちろん字面通りに、「時の来て」伐り倒されてしまうのか、朴の木のある土地との惜別か、それらをイメージした上でのものであります。『雪兎』(2001)所収。(清水哲男)


July 1472001

 涼風も招けバ湯から出にけり

                           西原文虎

ことに機嫌のよい句だ。読者には、作者の「上機嫌」が自然にうつってしまう。たいした中身ではないのだけれど、夏の入浴の快適さを、そしてみずからの上機嫌をすっと伝えるのは、本当はなかなかに難しい。いつかも書いたように、「喜」と「楽」の表出は日本人の苦手としてきたところなのだ。「涼風」は「すずかぜ」と、私なりに勝手に読んでおこう。文虎は一茶晩年の信州での最も若い弟子で、この日は師や兄弟子たちとともに温泉に遊んでいる。「涼風も」の「も」は、一茶や先輩たちの顔を立てての言でもあるが、彼の上機嫌は「涼風」の心地よさもさることながら、みんなのなかにいることそれ自体の嬉しさから出ている。そして、この素直な詠みぶりには一茶の息が感じられる。句には長い前書があり、温泉に来る途中でのつれづれの雑談も記録されている。「行く行くたがひに知恵袋の底を敲ていはく。支考ハうそ商人、其角は酒狂人、獨古鎌首ハむだ争ひに月日をついやすなとゝ。口に年貢の出でざればいちいち疵ものになして、興に乗じて箱峠のはこも踏破りつゝ、程なく田中の里にいたる。……」。口で何を言っても年貢を取り立てられるわけじゃなしと、言いたい放題の悪口も楽しかったのだ。この日は雲一つない晴天で、師の一茶もすこぶる元気だったという。からりとした信州の夏の日の、からりと気持ちの良い一句である。栗生純夫編『一茶十哲句集』(1942)所載。(清水哲男)


July 1372001

 ナイターの点灯しなほ薄暮なる

                           岩崎健一

しい歳時記が出ると、必ず引いて見る項目に「ナイター」がある。野球狂の習い性だ。病膏肓だ。だが、なかなかこれだという句にはお目にかかれない。掲句も、残念ながら句としては面白みに欠ける。現場の魅力に寄り掛かりすぎているからだ。と言いつつも引く気になったのは、句の出来はともかくとして、作者が「ナイター」の劇場的な醍醐味をよく知っているなと思ったからだ。夕方の6時くらいから試合がはじまるわけだが、日没が7時に近いという今ごろの試合だと、まだ明るくて点灯されていない。薄暮ゲームが、しばらくつづく。と、そのうちに、まだかなり明るいのに、照明灯に火が入る。このあたりのタイミングで、句は詠まれた。そして、この後の十五分くらいの間の球場の美しい変化については、申し訳ないが実際に見ていただくしかない。十五分ほどの時の流れのなかで、徐々に変わっていく自然と人工の光線の織りなす微妙な移り変わりの様子は、晴れていればいるほどに素晴らしい。これだけでも、出かけて金を払う値打ちがある。したがって、逆に「ナイターの雨を見てをり夫の背」(丹間美智子)にはひどく辛いものがある。せっかく、楽しみにして二人で遠出してきたのに……ね。いい奥さんだ、なんて野暮な雨なんだ。句としては、断然こちらの勝ちである。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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