次回余白句会は穂高で。多田道太郎さんが犬を連れてくるという。句会に出る犬ははじめてだろう。




2001ソスN7ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1672001

 さつきから夕立の端にゐるらしき

                           飯島晴子

なたにも、体験があるのではなかろうか。パラパラッと降ってきたかと思うと、サアッと日が射してくる。誰かの句に、銀座通りを夕立が駆け抜けていく様子を詠んだものがあったと思うが、雨の範囲が狭いのが夕立の特徴だ。なるほど「夕立の端」と、稚気を発揮して言うしかか言いようがない。この句には自註があって、気になることが書かれている。それまでの作者は、何か目に見えて強い手ごたえのある詩的時空を実現させたいと願ってきた。しかし「俳句の詩としての究極の手応えの強さ、確かさは、面の一見の強い弱いにはかかわらないということである。一見は何も無いようで、触ってみると固い空気のようなものが在るのも愉しいではないかということである。掲句でそういうことが出来ているかどうか。多分まだ抜き残した部分があるのだろうが……」(別冊俳句『現代秀句選集』1998)。俗に言う「肩の力を抜く」に通じる心境だろうが、一読者としての私も、だんだん同じような心境に近づきつつある。幾多の華麗な句や巧緻の句に感心しつつも、めぐりめぐってまた「一見は何も無い」子規句のような世界に戻っていきそうな自分を感じている。トシのせいだとは、思えない。単に、そのほうがよほど「愉しい」からだ。『儚々』(1996)所収。(清水哲男)


July 1572001

 時の来て朴と涼しき別れかな

                           中山世一

に入りました。「別れ」の内実はともかく、すべての別れがこうであったらなあと、事実かどうかには関係なく、ここには作者の「別れ」への理想形が表れていると愚考します。「朴(ほお)」は現実の朴でもありますが、、吐息としての「ほお(っ)」でもあるでしょう。「朴」の木は、たしかに「ほお」というほどの高木であり、またそれくらいの印象で終わってしまう木のような気がします。私の田舎でも、いつも朴は「ほお(っ)」と立っていました。下駄の素材になるのだよと、教室で教わりました。人はとかく「別れ」に際して内省的にせよ、いろいろと暑苦しい理屈や感想を並べたくなるものです。仮に「時の来て」と、あらかじめわかりきっている、いわば当然の「別れ」についても……です。そのほうが普通なのでしょうが、たまには僥倖としか言いようのない「涼しき別れ」に恵まれることもなくはないでしょう。掲句を読んで、いくつかの「別れ」を思い出しました。「じゃあね」と軽く手を振って「ぼくらは死ぬまで別れられるのである」なあんて、そんな詩を書いたこともありましたっけ。以上の感想は、もちろん字面通りに、「時の来て」伐り倒されてしまうのか、朴の木のある土地との惜別か、それらをイメージした上でのものであります。『雪兎』(2001)所収。(清水哲男)


July 1472001

 涼風も招けバ湯から出にけり

                           西原文虎

ことに機嫌のよい句だ。読者には、作者の「上機嫌」が自然にうつってしまう。たいした中身ではないのだけれど、夏の入浴の快適さを、そしてみずからの上機嫌をすっと伝えるのは、本当はなかなかに難しい。いつかも書いたように、「喜」と「楽」の表出は日本人の苦手としてきたところなのだ。「涼風」は「すずかぜ」と、私なりに勝手に読んでおこう。文虎は一茶晩年の信州での最も若い弟子で、この日は師や兄弟子たちとともに温泉に遊んでいる。「涼風も」の「も」は、一茶や先輩たちの顔を立てての言でもあるが、彼の上機嫌は「涼風」の心地よさもさることながら、みんなのなかにいることそれ自体の嬉しさから出ている。そして、この素直な詠みぶりには一茶の息が感じられる。句には長い前書があり、温泉に来る途中でのつれづれの雑談も記録されている。「行く行くたがひに知恵袋の底を敲ていはく。支考ハうそ商人、其角は酒狂人、獨古鎌首ハむだ争ひに月日をついやすなとゝ。口に年貢の出でざればいちいち疵ものになして、興に乗じて箱峠のはこも踏破りつゝ、程なく田中の里にいたる。……」。口で何を言っても年貢を取り立てられるわけじゃなしと、言いたい放題の悪口も楽しかったのだ。この日は雲一つない晴天で、師の一茶もすこぶる元気だったという。からりとした信州の夏の日の、からりと気持ちの良い一句である。栗生純夫編『一茶十哲句集』(1942)所載。(清水哲男)




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