海洋日本を誇示する日だが、いまの海はどうなっておるのかな。「山の日」があってもいいね。




2001ソスN7ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2072001

 葉も蟹も渦のうちなる土用かな

                           依光陽子

日は「土用」の入りだ。春夏秋冬に土用はあって、その季節の終わりの十八日間を言う。陰陽五行説。夏の土用は暑さのピークで、他のそれに比べて季節感が際立つために、単に「土用」といえば夏の土用を指すのが一般的だ。俳句でも夏の季語とされてきた。掲句は、渦巻く水のなかで「葉も蟹も」もみくちゃにされている。「葉も蟹も」に小さな命を代表させているわけで、実際にこんな情景を見られたとしたら、見ている人間も「渦」に吸い込まれ巻き込まれる一つの小さな命に思えてくるに違いない。作者の実見かどうかには関係なく、うだるような暑さの「渦」に翻弄される命のありようが、よく伝わってくる。「土用」で付け加えておけば、今日からの十八日間が元来の「暑中」なので、いまでも律義な人はこの期間中にしか暑中見舞状を出さない。私の知りあいにも、そういう人がいる。また、気になる今年の「土用の丑」は7月25日(水)だ。いずれにしても、夏の真っ盛りがやってきました。読者諸兄姉におかれましては、ご自愛ご専一にお過ごしくださいますように……。「俳句研究」(2001年8月号)所載。(清水哲男)


July 1972001

 「実入れむ実入れむ」田を重くする蝉時雨

                           和湖長六

わゆる「聞きなし」である。鳥のさえずりなどの節まわしを、それに似たことばで置き換えることだ。地方によっても違うだろうが、たとえばコノハズクの「仏法僧」、ホオジロの「一筆啓上仕り候」、ツバメの「土喰うて虫喰うて口渋い」、コジュケイの「ちょっと来い、ちょっと来い」などが一般的だろう。米語にもあるようで、コジュケイは「People pray」だと物の本で知った。日本人のある人には「かあちゃん、こわい」としか聞こえないそうだ(笑)。このように、鳥の「聞きなし」は普通に行われてきたが、掲句のような蝉のそれには初めてお目にかかった。「蝉時雨」だから何蝉ということではなく、作者には集団の鳴き声が「実入れむ実入れむ」と聞こえている。青田を圧するように鳴く蝉たちの声を聞いているうちに、自然にわき上がってきた言葉だから、無理がない。それにしても、こんなにも連日やかましく「実入れむ」と激励されるとなると、いよいよ田の責任は重大だ。「田を重くする」は、そんな田の心情(!)と、田を押さえつけるような蝉時雨の猛烈さとを、諧謔味をまじえて重層的に表現していて納得できる。この夏、信州に行く。あの一面の青田に出会ったら、きっとこの句を思い出すだろう。はたして「実入れむ」と聞こえるかどうか。楽しみだ。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)


July 1872001

 青草をいつぱいつめしほたる籠

                           飯田蛇笏

読、微笑を誘われた。そして、思い出した。子供の頃にホタルを採るのはよいとして、心配だったのは「ほたる籠」に入れた後のホタルの世話である。ぜんたい、何を食べるのかもわからない。子供にホタルの光を観賞しようというような風流心は希薄だから、採ったらずうっと飼う気持ちなのである。飼うためには、どんなことをすればよいのか。大人に聞いてみても、無情に「はて……」などと言う。ノウハウがない。仕方がないので、そのうちに、ホタルのいる環境を「ほたる籠」のなかに作ってやることを思いつく。私の場合も適当に青草を敷いて、少し水を含ませた。句の子供はまだ小さいから、お兄ちゃんたちの見よう見真似で敷いたのはよいが、青草をぎゅう詰めにしてしまっている。でも、得意満面だ。おいおい、それではホタルを入れられないよと、作者は苦笑もし微笑も浮かべているのである。一つ一つ、こんなことを経験しながら、子供は育っていく。作者も、おそらくは遠い日のことを思い出しているのだろう。季語は「ほたる(蛍)」ではなく「ほたる籠(蛍籠)」。私のころは、竹製のものが多かった。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)




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