遶ケ荳九@縺・縺ョ螂ウ縺ョ句

July 2672001

 処女二十歳に夏痩がなにピアノ弾け

                           竹下しづの女

い女を叱りつけている。「処女」は「おとめ」。夏痩せでしんどいなどと言うけれど、まだ「二十歳(はたち)」じゃないの。若いんだから、たかが夏痩せくらいでグズグズ言わずに、ちゅんと仕事をしなさいっ。作者は、杉田久女や長谷川かな女と同世代の「ホトトギス」同人。はやくに夫を亡くし、五人の子女を女手ひとつで育て上げた。句集を読んでいると、その労苦のほどがしのばれる。同じころに「夏痩の肩に喰ひ込む負児紐」があり、夏痩せの辛さは我とわが身でわかっているのだ。そこを耐えて踏み越えていかなければと、若い女のわがままに我慢がならなかったのだろう。「男まさり」と言われたが、昭和初期の社会で男に伍して生きていくためには、めそめそなどしていられない。天性の気性の強さがあったとはいえ、そうした生活の条件がさらに強さを磨き上げたのである。夫亡き後は、職業婦人として図書館に勤めた。「汗臭き鈍の男の群に伍す」と、心の内で「鈍(のろ)の男」どもに怒りつづける日々であった。ところで、ダイエット流行の今日、掲句の痩せたことを喜ばぬ女性の態度に不審を覚えるむきもあるかもしれない。が、「夏痩」は食欲不振の栄養不良から来るもので、ほとんど病気状態だから、辛いことは辛かったのだ。『女流俳句集成』(1999)所収。(清水哲男)


May 0952004

 苺ジャム男子はこれを食ふ可らず

                           竹下しづの女

語は「苺」。春の季語と思っている人も多いだろうが、また実際に春先から出回るが、本来の苺の旬は夏だ。冬苺を除いて、野生のものはすべて夏に熟成する。詠まれたのは、昭和十年代初期と思われる。日中戦争が拡大しつつあった時期であり、軍国日本が大いに称揚された世相下であった。すなわち、日本男子たるものは軟弱であってはならぬと戒められた時代の句だ。「苺ジャム」のように甘くてべとべとしたものを好むようでは、ロクな男にはならないぞ。そう作者は警告しているわけだが、夫が急逝したために、女手ひとつで二男三女を育て上げた作者の気概は、おそらく一般男子に向いていたのではなく、息子たちにこそ向けられていたのだろう。この姿勢を「軍国の母」の一典型と見るのはみやすいが、当時の世相の中で、息子たちが人並み以上の立派な日本男子になってほしいと鼓舞する気持ちには、打たれるものがある。何かにつけて、父親がいないせいだと後ろ指などさされたくはない。そのためには、日頃の立居振る舞いから衣食住生活にいたるまで、おさおさ怠りのないようにと、母は二人を叱咤するのである。愚かだと、誰がこの明治の母を嗤えるだろうか。それはそれとして、総じて男は辛党であり女は甘党であるという迷信が、いまだに生きつづけているというのも不思議な話だ。男がひとりで甘味屋に入ると怪訝な顔をされるし、女ひとりが居酒屋で一杯やるのには勇気がいりそうだ。私自身は辛党に分類されるはずだけれど、甘いものが嫌いなわけじゃない。大学に入ったころ保田與重郎の息子と友だちになり、かの日本浪漫派の主軸邸で汁粉食い大会をやらかしたことを思い出した。しかし、以後はだんだんと世間体をはばかりはじめて、いつしか諾々と迷信に従ってしまった結果の辛党であるようだ。この主体性無き姿勢をこそ、私の常識では軟弱と言うしかないのだが。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


October 18102006

 三井銀行の扉の秋風を衝いて出し

                           竹下しづの女

行員が詠んだ俳句はたくさんあるわけだろうが、名指しではっきりと銀行名を詠み込んだ大胆な俳句を、私は寡聞にして知らない。のっけから「三井銀行」とは、あっぱれ。いかにもしづの女(じょ)らしい。ちなみに同行は私盟会社として明治九年に創立されている。現・三井住友銀行。人は好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな事情を抱えて銀行に出入りするわけだが、「衝いて出し」ときの秋風はさわやかで心地良かったのか、あるいは耐えられないものだったのか。しづの女のよく知られている句「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」とか、他の句にある「…ぶつかり来」「…ピアノ弾け」などの強い表現に敢えてこだわって類推すると、憤然と、あるいは昂然と銀行の頑丈な扉を押し開けて外へ出て、秋風に立ち向かって行くような勢いが感じられてならない。いや「扉の秋風」ゆえ、ここでは扉そのものがもはや秋風なのであり、外なる秋風への入口そのものなのだろう。川名大は、しづの女について「姉御肌の人柄で、知性と意力と熱情の溢れた力強い母性の行動力が特色」とコメントしている。杉田久女を含めて、こういう女性も「ホトトギス」に所属していたのだ。川名大『現代俳句・上』(2001)所載。(八木忠栄)


April 1042007

 つぎつぎと嫁がせる馬鹿花吹雪

                           福井隆子

冷えが続いた陽気に、ずいぶん長持ちしたように思う今年の桜だが、花吹雪も一段落し、これからは桜蘂(さくらしべ)を降らす段に入った。桜は花を落としたのち、ひときわ紅く燃え立つように見えることがあるが、これは深紅に近い色彩の蘂があらわになるためだ。掲句に竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてつちまおか)」をふと重ねる。しづの女が母親入門の句であるなら、掲句は母親卒業の句である。しづの女は乳飲み子を前に母性から噴出する一瞬の狂気を描き、掲句は手塩にかけたわが子をあっさりと手放したあとの自嘲と諦観を詠んでいる。「馬鹿」と軽口めきながらも、そこには同時に健やかな巣立ちの喜びと誇らしさがあり、はらはらと散る桜の花びらが、長いお母さん業卒業の祝福の花吹雪にも見えてくる。母の強さはこの超然とした態度にあるのだと思う。元気でいてくれたらそれで結構、そんなおおらかな気分が母性の終点にはある。惜しみない時間を愛する子供に費やしたあとは、自分の時間をたくましく開拓していくのだ。まるで花吹雪のあとの桜が、一層力強く鮮やかな表情を見せるように。『つぎつぎと』(2004)所収。(土肥あき子)


April 2842007

 書庫瞑しゆふべおぼろの書魔あそぶ

                           竹下しづの女

、春の夜の物みな朦朧とした感じをいう、と歳時記にある。春特有のぼんやりとした景をいう時、日中は霞、夜は朧、と区別するというが、朧は、草朧や鐘朧のように、ものの形や音の響きが漠としていることを表すこともある。また、さらりと平面的な霞にくらべて、朧には茫洋とした中にどこか妖しさが潜んでいるようにも思える。書物は生きものではないけれど、そこには言霊が文字となって宿っている。子供の頃、昼でも薄暗い図書館の書庫で、あれこれ本を手にとって読むのは幸せな時間だったが、ふと気がつくとまわりに誰もいなかったりすると、不思議な不安感にとらわれたものだ。書魔は、作者の造語というが、それぞれの本にはまさにそんな魔力を持った何かが息づいているように思える。夫が急逝し、五人の子と共にのこされた作者は、その翌年から福岡県立図書館に勤務している。読書欲旺盛で学問好きだったというから、願ってもない職場であったことだろう。日が落ちて、春の宵闇に包まれようとしている書庫の、ほのかに黴臭いような空気感までが、朧という季題を得て不思議なリアリティをもって描かれている。次男、健次郎氏編のこの本の帯には、「理知と才気に溢れた現代女流俳句の先駆者」と書かれている。表紙の隅にはしづの女の写真。ふっくらとした頬に微笑みを浮かべ、少し戸惑っているようにも見える。『解説しづの女句文集』(2000・梓書院)所載。(今井肖子)


October 27102015

 どうせなら月まで届くやうに泣け

                           江渡華子

うしようもなく泣く赤子に焦燥する母の姿というと竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉があるが、いくら反語的表現とはいえ世知辛い現代では問題とされてしまう可能性あり。ひきかえ、掲句のやけっぱちなつぶやきは、おおらかでユーモアのある母の姿として好ましいものだ。赤ん坊の夜泣きとの格闘は、白旗をあげようと、こちらが泣いて懇願しようと許されない過酷な時間だ。愛しいわが子がそのときばかりは怪獣のように見えてくるのだと皆、口を揃えるのだから、今も昔も変わらぬ苦労なのである。続けて〈「来ないで」も「来て」も泣き声夏の月〉や〈笑はせて泣かせて眠らせて良夜〉にも母の疲労困憊の姿は描かれる。とはいえ、子のある母は若いのだ。健やかな右上がりの成長曲線は子のものだけではなく、母にも描かれる。100日経ったらきっと今よりずっと楽。がんばれ、お母さん。『笑ふ』(2015)所収。(土肥あき子)




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