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July 3172001

 夏木立一とかたまりに桶狭間

                           高野素十

念なことに現地を知らないので、掲句が「桶狭間(おけはざま)」の光景をうまく言い当てているのかどうかはわからない。桶狭間といえば、古戦場として名高い。1560年(永禄3年)5月19日、尾張桶狭間(現・愛知県豊明市)における今川義元と織田信長の壮絶な戦いがあった土地だ。この戦(いくさ)に勝利したことで、信長には決定的な弾みがついた。そんな歴史を持つ土地を訪ねてみると、想像していたよりもずうっと狭い感じがしたので、「一とかたまり」と言ったのだろう。往時と変わらぬはずの「夏木立」を遠望しながら、作者は武将たちの運命を決した舞台のあまりの小ささに感じ入っている。「一とかたまり」が、よく効いている。ところで、素十の句集をパラパラ繰ってみるだけでわかることだが、彼は「一」という数字を多用した俳人だ。句作にあたって「先ず一木一草一鳥一虫を正確に見ること」を心がけたというが、逆に多面的重層的な森羅万象を「一」に帰すことにも熱心だった。彼の「まつすぐに一を引くなる夏書かな」のように、たしかに「一」は気持ちの良い数字ではある。むろん、掲句も気持ちがよろしい。素十の「一」を考えていると、素十句にかぎらず、俳句は具体的に「一」という数字を使わないまでも、つまるところは「一」を目指す文芸のように思えてくる。『野花集』(1953)所収。(清水哲男)


May 1852002

 夏に入るや亀の子束子三つほど

                           西野文代

語は「夏(げ)に入る(夏入)」で夏。立夏や夏至のことではない。僧侶が、屋内に籠って静かに行を修することをいう。期間は必ずしも一定していないようだが、だいたい旧暦四月中旬から七月中旬までの間で、「安居(あんご)」「夏行(げぎょう)」などとも。この期間、外に出ると蟻やその他の虫を踏み殺すというので、一切外出しないのが本来の夏入だという説もある。お坊さんも大変だ。作者は寺の多い京都の人だから、ふとそのことを思い出して、お坊さんほどに精進はできないにしても、せめて家中の汚れものや浴室をピカピカに磨こうかと「亀の子束子(かめのこたわし)」を求めたのだろう。一つではなく「三つ」も買ったところに、気合いを入れた感じが出ている。作者によれば、求めた店は先斗町北詰にある荒物屋。「そこだけがまるで時代から取り残されたように昔のたたずまいを残している。荒物屋といっても棕櫚製品だけを扱っている店だ。今どき、こんなものがと思われるようななつかしい品々がひっそりと並べられている。荒神箒の大中小、刷毛の大中小、更に豆刷毛の大中小、縄も太いの細いのに中細。柄付束子の大中小に亀の子束子の大中小。……」。しかも、店番をしているのが「大正か昭和のはじめ頃から抜け出てきたような小母さん」だというから、ここで「夏入」の季節を思い出すのはごく自然のことかもしれない。それにしても、京都にこんな店が生き残っているとは。どなたか発見されましたら、ご一報を。『おはいりやして』(1998)所収。(清水哲男)




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