いつの間にかmac.comでSMTPサーバが使えるようになっていた。一寸知らせてくれてもいいじゃん。




2001ソスN7ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3172001

 夏木立一とかたまりに桶狭間

                           高野素十

念なことに現地を知らないので、掲句が「桶狭間(おけはざま)」の光景をうまく言い当てているのかどうかはわからない。桶狭間といえば、古戦場として名高い。1560年(永禄3年)5月19日、尾張桶狭間(現・愛知県豊明市)における今川義元と織田信長の壮絶な戦いがあった土地だ。この戦(いくさ)に勝利したことで、信長には決定的な弾みがついた。そんな歴史を持つ土地を訪ねてみると、想像していたよりもずうっと狭い感じがしたので、「一とかたまり」と言ったのだろう。往時と変わらぬはずの「夏木立」を遠望しながら、作者は武将たちの運命を決した舞台のあまりの小ささに感じ入っている。「一とかたまり」が、よく効いている。ところで、素十の句集をパラパラ繰ってみるだけでわかることだが、彼は「一」という数字を多用した俳人だ。句作にあたって「先ず一木一草一鳥一虫を正確に見ること」を心がけたというが、逆に多面的重層的な森羅万象を「一」に帰すことにも熱心だった。彼の「まつすぐに一を引くなる夏書かな」のように、たしかに「一」は気持ちの良い数字ではある。むろん、掲句も気持ちがよろしい。素十の「一」を考えていると、素十句にかぎらず、俳句は具体的に「一」という数字を使わないまでも、つまるところは「一」を目指す文芸のように思えてくる。『野花集』(1953)所収。(清水哲男)


July 3072001

 日と月と音なく廻る走馬燈

                           岩淵喜代子

絵仕掛けの回り灯籠。今流に言えば科学玩具だが、物の本によると「中国から伝来したもので、江戸時代初期、宗教的色彩の濃いものからしだいに変化して、元文年間(1736〜41)以後、遊戯的な技巧や工夫が加えられ、夏の納涼玩具として発達した」のだという。作者は「音なく迴る走馬燈」を見ている。その影絵に「日と月」が具体的にあったのかどうかは別にして、「音なく迴る」のは「日と月」も同じであることに思いが至っている。すなわち、この宇宙全体が一種の走馬燈みたいなものではないか、と。この時間も、走馬燈といっしょに「日と月」も廻っているのだ。そのことに思いが至って、また目の前の走馬燈を見つめ直すと、単なる涼感以上の感慨がわいてくるようだ。通いあう句に、角川源義の「走馬灯おろかに七曜めぐりくる」がある。これはこれで捨てがたいが、時空間的に大きく張った掲句は、走馬燈の玩具性をはるかに越えており、そこに作者の手柄が感じられる。影絵のよさは、仮想現実(バーチャル・リアリティ)を目指さないところだ。あくまでも、影でしかないのである。仮想にとどまるのだ。だから、想像力の活躍する余地が大きい。両手を使ってたわむれに障子に写し出すイヌやキツネの影に、目を輝かす子はいまでもたくさんいるにちがいない。『蛍袋に灯をともす』(2000)所収。(清水哲男)


July 2972001

 炎天下おなじ家から人が出る

                           永末恵子

らぎらと灼けつくような日盛りの通りだ。人影もない。すると、とある家から「人」が出てきた。そして「おなじ家」から、また人が出てきた。ただそれだけのことなのだが、作者はなんだか不意をつかれたような気持ちになっている。ひとりだけならば、さほど何も感じなかったろう。つづいてもうひとり出てきたことで、この「炎天下」に何用かと、思わずも出てきた「人」たちにではなく、その「家」のほうに、不思議なものでも見るような視線を走らせたにちがいない。つまり、その「家」の事情に関心が動いたのだ。すなわち、いま止むを得ずに「炎天下」にいる自分の事情以上の事情があるような気がしてしまったのである。私には、句の全景が白日夢のように写る。あるいは、無声映画の露出オーバーの一シーンでも見ているような感じだ。真っ白な道のむこうに建つ真っ黒な家から、真っ黒な人影がぽろりぽろりと出てくる無音の世界……。炎天、ここに極まれり。作者の出発は自由詩だったと聞くが、自由詩では書けない世界をちゃんと知っている人ならではの「俳句」だとも思った。『留守』(1994)所収。(清水哲男)




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