August 052001
山河古り竹夫人また色香なき
山口青邨
さあ、わからない。何がって、「竹夫人(ちくふじん)」が。いまや、そういう読者のほうが多いでしょうね。私も見たことがないのでご同様ですが、この夏の季語は、何故かまだ、たいていの現代歳時記に載っています。最も新しい講談社版にも……。倉橋羊村に「こそばゆき季語の一つに竹夫人」があり、艶なる「夫人」の呼称が気にかかります。要するに、竹で編んだ一メートルから一・五メートルくらいの細い筒型の籠(かご)で、寝床で抱いたり、手足をもたせかけて涼をとった物のようです。たしかに、竹はひんやりとしています。その意味では生活の知恵の生んだ道具ではありますが、名前も含めて相当に奇想天外な発想と言えるでしょう。いろいろ調べてはみたのですが、命名の由来はわかりませんでした。用途を考えると、なんとなくわかるような気はしますがね。曲亭馬琴が編纂した『栞草』にも颯爽と登場しており、ただし「似非夫人之職、予為曰青奴(せいぬ)」という苦々しげな文章を引用しているところを見ると、彼もまた「色香なし」と思っていたのでしょうか。「青奴」の他に「竹奴(ちくぬ)」「抱籠(だきかご)」ともあります。掲句は「山河」や「竹夫人」が老いたと言っていますが、つまるところは自分自身が老いてしまったことを慨嘆しているのですね。やれやれ、と。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)
July 012002
滝田ゆうの夕焼横町抜ケラレマス
倉橋羊村
季 語は「夕焼」で夏。作者添え書きに「滝田ゆうの画展で『墨東奇譚』のこの看板の横町が描かれた」(「墨」にはサンズイがつくが、ワープロにないのでご容赦を)とある。戦前の荷風のこの小説を踏まえたのが、戦後の滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』だ。物語はさておいて、いずれも舞台は浅草からほど近い玉の井である。荷風の時代には一大私娼窟があり、夜ともなると男どもの遊び場としてにぎわった。荷風によれば、玉の井は「ごたごた建て連なった商店の間の路地口には『ぬけられます』とか、『安全道路』とか、『京成バス近道』とか、あるいは『オトメ街』あるいは『賑本通(にぎわいほんどおり)』など書いた灯がついている」というたたずまいであった。ところが、この「ぬけられます」。看板に偽りありもいいところで、路地を入るとさらに細い路地や横丁が交錯し、通い慣れた人でもグルグル同じところをめぐるハメに陥ったという。一度入ったら出られないラビラント(迷宮、迷路)は、やたらと多い交番、風呂屋、お稲荷さんと並んで玉の井名物だったらしい。現在でも、ややこしく入り組んだ細い道が、昔を彷彿させる。そんな街の「夕焼」と「抜ケラレマス」の看板。滝田ゆうの展覧会を見ているうちに、この絵の前で釘付けになった。それも玉の井そのものへの郷愁というのではなく、古き時代の庶民の街への何とも言えない懐かしさからだろう。たとえ夜は繁華でも、それだけに夕焼けのころにはまだ淋しい感じのする街が、昔はあちこちにあった。荷風も滝田も、そして作者もまた、その淋しさをこよなく愛している。手元に滝田ゆうの本がないので、雰囲気をつかんでいただくために、この滝田の作品をパロディ化した長谷邦夫「特出し町奇譚」の一コマ(『パロディ漫画大全』水声社・2002)を掲額しておく。えっ、誰ですか、「ぶち壊しだ」なんて言うのは(笑)。これまたパロディ、ね。ダーン。「俳句」(2002年7月号)所載。(清水哲男)
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