ああ、たった一つの短い原稿が書けない。一ヶ月経っても、まだ書けない。こんなこはなかったのに。




2001ソスN8ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0582001

 山河古り竹夫人また色香なき

                           山口青邨

あ、わからない。何がって、「竹夫人(ちくふじん)」が。いまや、そういう読者のほうが多いでしょうね。私も見たことがないのでご同様ですが、この夏の季語は、何故かまだ、たいていの現代歳時記に載っています。最も新しい講談社版にも……。倉橋羊村に「こそばゆき季語の一つに竹夫人」があり、艶なる「夫人」の呼称が気にかかります。要するに、竹で編んだ一メートルから一・五メートルくらいの細い筒型の籠(かご)で、寝床で抱いたり、手足をもたせかけて涼をとった物のようです。たしかに、竹はひんやりとしています。その意味では生活の知恵の生んだ道具ではありますが、名前も含めて相当に奇想天外な発想と言えるでしょう。いろいろ調べてはみたのですが、命名の由来はわかりませんでした。用途を考えると、なんとなくわかるような気はしますがね。曲亭馬琴が編纂した『栞草』にも颯爽と登場しており、ただし「似非夫人之職、予為曰青奴(せいぬ)」という苦々しげな文章を引用しているところを見ると、彼もまた「色香なし」と思っていたのでしょうか。「青奴」の他に「竹奴(ちくぬ)」「抱籠(だきかご)」ともあります。掲句は「山河」や「竹夫人」が老いたと言っていますが、つまるところは自分自身が老いてしまったことを慨嘆しているのですね。やれやれ、と。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


August 0482001

 厚餡割ればシクと音して雲の峰

                           中村草田男

党(からとう)の読者(私もそうです)は、意表を突かれたかもしれませんね。季語は「雲の峰」で夏。もこもこと大きく盛り上がった入道雲を意識しながら、何も暑い季節に「厚餡(あつあん)」を「割る」こともあるまいに、と……。要するに、飲み助は甘いものを暑苦しいと思い込んでしまっているのです、たぶんね。でも、最近酒量の落ちてきた私にはよくわかるようなつもりになっているのですが、そんなことはないようです。薄皮の饅頭(まんじゅう)でしょうか。特に冷やしてあるわけでもないのに、手にする「厚餡」入りの菓子はどこか冷たく重く感じられます。作者が言いたいのは、この「厚餡」と「雲の峰」との質感の相似性でしょう。あの「雲の峰」も、いま手にしている饅頭と同じように、そおっと丁寧に「割ればシクと音して」割れるようだ。「シク」が眼目。「パクッ」でもなければ、ましてや「バカッ」でもない。あくまでも大切に割るのですから、無音に等しい「シク」と鳴るわけですね。日本のどこかで、今日もこんなふうに「雲の峰」を眺めている人がいるのかと思うと、それだけでも心が安らぎます。『銀河依然』(1953)所収。(清水哲男)


August 0382001

 爪弾く社用で贈るメロンかな

                           守屋明俊

集では、この句の前に「ごきぶりを打ちし靴拭き男秘書」が置かれている。秘書の仕事の一貫として、高級果物店で「社用で贈る」メロンを選っているのだ。なるべく出来のよいものを贈るべく、いくつかのメロンを爪で弾いてみている。もしも不味いものでも届けてしまったら、会社の沽券にかかわるので真剣にならざるを得ない。が、作者はおそらく、いま選んでいるような高価なメロンは口にしたことがないのだろう。ていねいに一つ一つ弾いてはみるものの、本当のところは、どれが良いのかよくわからない。途方に暮れるほどでもないが、失敗は許されないので、気を取り直してまた弾いてみる。サラリーマンだったら、たいていの人が作者の心中は理解できると思う。業務とはいえ、何故俺はここでこんなことをやってんだろうと、一種泣き笑いの状況に放り込まれることがある。そこらへんの心理的に微妙なニュアンスが、「爪弾く」という微妙な仕草を通じているので、よく伝わってくる。漠然としたサラリーマンの哀感を詠んだ句は多いが、掲句は具体的にきっちりと壺をおさえていることで出色の出来と言えよう。それこそこの句を「爪弾」いてみれば、読者それぞれにたしかな苦い音を聞けるはずである。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)




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