August 062001
キャラメルの赤き帯封原爆忌
吉村 明
広島に原子爆弾が投下された日(1945年8月6日)。もう、五十六年も昔のことになってしまったのか。しかし、掲句はなんでもない「キャラメルの赤き帯封」を、泣けとごとくに現代の読者に突きつけてくる。日頃は気にとめたこともないので、私などは帯封の色すら覚えない。どんなメーカーのキャラメルの帯封なのか。いま思い出そうとしても、思い出せない。そんな私にすら、この「赤」は鮮烈な印象を植え付けた。作者は、原爆で亡くなった無数の子供たちを追悼しているのだ。キャラメル一つ口にできないまま死んでいった彼らに、せめてこの「赤き帯封」を切らせてやりたかった、と。薄っぺらく細長いただの帯封に、作者の慟哭が込められている。あの大戦争下で亡くなった方々を悼む心には、むろん子供だとか大人だとかの区別はない。ないけれど、そのころ子供だった私にしてみれば、せっかく生まれてきたのに、ほとんど楽しい思いをすることなく理不尽に殺された同世代のことは、他人事ではないのだ。殺される条件は、彼らとまったく同じであった。だから、私は偶然に生かされた者なのである。偶然に生かされて、ここまで生きてきた。涙なしに、この句を読めるわけがない。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
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