本日午後七時五十二分に太陽と地球の位置関係が黄経一三五度を迎える。暦の上ではそこからが秋。




2001ソスN8ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0782001

 少女期やラムネの瓶に舌吸はれ

                           高倉亜矢子

学校高学年か、中学校低学年くらいの少女を連想した。ちょっと悪戯っぽい感じの女の子だ。ラムネを飲むのにもいささか飽きてきて、玉を舌先で触って遊んでいるうちに、何かの拍子でひゅっと「吸はれ」てしまった。それだけのことでしかないが、それだけのことだから「少女期」を象徴する出来事として受け止められるのだ。私の観察するところでは、少年に比べると、案外に少女はおっちょこちょいである。無鉄砲は少年の属性のようなものだが、それとは違い、少女は少年には考えられないようなアクシデントに見舞われたりする。本質的に、おおらかなのかもしれない。少年だったら、まずこんなドジは踏まないだろう。句は、そのあたりのことを言っている。ただ昔の少年として気になったのは、実際にこういうことが起きるという理屈がわからないところだ。ラムネ瓶のなかでは飲料水の発するガス圧が玉を押し上げる仕掛けだから、この場合はほとんど飲んでしまった後で、逆に瓶の中が外気圧に押されていた故に「吸はれ」てしまったのだろうか。……というふうに、とかく少年(男)は理屈っぽい。理屈っぽくない少女だった作者としては、「だって、ホントにそうなっちゃったんだもん」と答えるのだろうな。作者は1971年生まれ。なかなかに良いセンス。「香水に水の匂ひのありにけり」。この句も素敵だ。期待したい。「俳句」(2001年8月号)所載。(清水哲男)


August 0682001

 キャラメルの赤き帯封原爆忌

                           吉村 明

島に原子爆弾が投下された日(1945年8月6日)。もう、五十六年も昔のことになってしまったのか。しかし、掲句はなんでもない「キャラメルの赤き帯封」を、泣けとごとくに現代の読者に突きつけてくる。日頃は気にとめたこともないので、私などは帯封の色すら覚えない。どんなメーカーのキャラメルの帯封なのか。いま思い出そうとしても、思い出せない。そんな私にすら、この「赤」は鮮烈な印象を植え付けた。作者は、原爆で亡くなった無数の子供たちを追悼しているのだ。キャラメル一つ口にできないまま死んでいった彼らに、せめてこの「赤き帯封」を切らせてやりたかった、と。薄っぺらく細長いただの帯封に、作者の慟哭が込められている。あの大戦争下で亡くなった方々を悼む心には、むろん子供だとか大人だとかの区別はない。ないけれど、そのころ子供だった私にしてみれば、せっかく生まれてきたのに、ほとんど楽しい思いをすることなく理不尽に殺された同世代のことは、他人事ではないのだ。殺される条件は、彼らとまったく同じであった。だから、私は偶然に生かされた者なのである。偶然に生かされて、ここまで生きてきた。涙なしに、この句を読めるわけがない。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


August 0582001

 山河古り竹夫人また色香なき

                           山口青邨

あ、わからない。何がって、「竹夫人(ちくふじん)」が。いまや、そういう読者のほうが多いでしょうね。私も見たことがないのでご同様ですが、この夏の季語は、何故かまだ、たいていの現代歳時記に載っています。最も新しい講談社版にも……。倉橋羊村に「こそばゆき季語の一つに竹夫人」があり、艶なる「夫人」の呼称が気にかかります。要するに、竹で編んだ一メートルから一・五メートルくらいの細い筒型の籠(かご)で、寝床で抱いたり、手足をもたせかけて涼をとった物のようです。たしかに、竹はひんやりとしています。その意味では生活の知恵の生んだ道具ではありますが、名前も含めて相当に奇想天外な発想と言えるでしょう。いろいろ調べてはみたのですが、命名の由来はわかりませんでした。用途を考えると、なんとなくわかるような気はしますがね。曲亭馬琴が編纂した『栞草』にも颯爽と登場しており、ただし「似非夫人之職、予為曰青奴(せいぬ)」という苦々しげな文章を引用しているところを見ると、彼もまた「色香なし」と思っていたのでしょうか。「青奴」の他に「竹奴(ちくぬ)」「抱籠(だきかご)」ともあります。掲句は「山河」や「竹夫人」が老いたと言っていますが、つまるところは自分自身が老いてしまったことを慨嘆しているのですね。やれやれ、と。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)




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