東京はイヤに涼しくなってしまいました。が、曇っているばかりで雨は降りません。取水制限開始か。




2001ソスN8ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0882001

 淋しさに飯を食ふ也秋の風

                           小林一茶

番目の妻を離別した後の文政八年(1825年)の句。男やもめの「淋しさ」だ。昔の男は自分で飯を炊いたりはしないから(炊けないから)、飯屋に行って食うのである。いまどきの定食屋みたいな店だろう。そこにあるのは、何か。もちろん飯なのだが、飯以上に期待して出かけるのは、ごく普通の人々とのさりげない交感の存在だろう。いつもの時間にいつもの人たちが寄ってきて、ただ飯を食うだけの束の間の時間が、世間並みの暮らしから外れてしまった男には安らぎのそれとなる。ホッとできる時間なのだ。晩婚だった一茶は、ごく当たり前の家庭に憧れていたろうから、やっと掴んだように思えた普通の暮らしが思うようにいかなかったことは、相当にこたえていたはずだ。だったら飯ではなくて、「酒を飲む也(なり)」が自然だろうと思うのは、まだ生活の素人である。普通の生活をしている人恋しさで出かける先が酒場だとすれば、その人はまだ若年か、よほど仕事などへの意欲があふれている人にちがいない。酒場にあるのは、どんなに静かな店であろうとも、客たちが非日常を楽しむ時空間なのだから、普通の生活のにおいなどは希薄だ。そんなことは百も承知の一茶としては、したがって飯を食いに行くしかないことになる。「秋の風」が身にしみる。男性読者諸兄よ、明日は我が身かもしれませんぞ。(清水哲男)


August 0782001

 少女期やラムネの瓶に舌吸はれ

                           高倉亜矢子

学校高学年か、中学校低学年くらいの少女を連想した。ちょっと悪戯っぽい感じの女の子だ。ラムネを飲むのにもいささか飽きてきて、玉を舌先で触って遊んでいるうちに、何かの拍子でひゅっと「吸はれ」てしまった。それだけのことでしかないが、それだけのことだから「少女期」を象徴する出来事として受け止められるのだ。私の観察するところでは、少年に比べると、案外に少女はおっちょこちょいである。無鉄砲は少年の属性のようなものだが、それとは違い、少女は少年には考えられないようなアクシデントに見舞われたりする。本質的に、おおらかなのかもしれない。少年だったら、まずこんなドジは踏まないだろう。句は、そのあたりのことを言っている。ただ昔の少年として気になったのは、実際にこういうことが起きるという理屈がわからないところだ。ラムネ瓶のなかでは飲料水の発するガス圧が玉を押し上げる仕掛けだから、この場合はほとんど飲んでしまった後で、逆に瓶の中が外気圧に押されていた故に「吸はれ」てしまったのだろうか。……というふうに、とかく少年(男)は理屈っぽい。理屈っぽくない少女だった作者としては、「だって、ホントにそうなっちゃったんだもん」と答えるのだろうな。作者は1971年生まれ。なかなかに良いセンス。「香水に水の匂ひのありにけり」。この句も素敵だ。期待したい。「俳句」(2001年8月号)所載。(清水哲男)


August 0682001

 キャラメルの赤き帯封原爆忌

                           吉村 明

島に原子爆弾が投下された日(1945年8月6日)。もう、五十六年も昔のことになってしまったのか。しかし、掲句はなんでもない「キャラメルの赤き帯封」を、泣けとごとくに現代の読者に突きつけてくる。日頃は気にとめたこともないので、私などは帯封の色すら覚えない。どんなメーカーのキャラメルの帯封なのか。いま思い出そうとしても、思い出せない。そんな私にすら、この「赤」は鮮烈な印象を植え付けた。作者は、原爆で亡くなった無数の子供たちを追悼しているのだ。キャラメル一つ口にできないまま死んでいった彼らに、せめてこの「赤き帯封」を切らせてやりたかった、と。薄っぺらく細長いただの帯封に、作者の慟哭が込められている。あの大戦争下で亡くなった方々を悼む心には、むろん子供だとか大人だとかの区別はない。ないけれど、そのころ子供だった私にしてみれば、せっかく生まれてきたのに、ほとんど楽しい思いをすることなく理不尽に殺された同世代のことは、他人事ではないのだ。殺される条件は、彼らとまったく同じであった。だから、私は偶然に生かされた者なのである。偶然に生かされて、ここまで生きてきた。涙なしに、この句を読めるわけがない。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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