August 092001
車窓より西瓜手送り旅たのし
市川公吐子
西瓜は、元来が残暑厳しき候に最盛期を迎えたようだ。したがって、秋の季語。新暦七月頃に見られる現代の西瓜は、早稲種ということになる。それが証拠に、江戸期などの古い歳時記を見ると、何の解説もなく「秋之部」に入っている。現代歳時記では、そうもいかないのか、何故「秋」なのかの言い訳が書いてある。あっ、こうここに書くことも言い訳だった(笑)。掲句は駅頭の光景。見送りに来てくれた人が、お土産にと大きな西瓜を車窓から差し入れてくれているのだ。その一つ一つを、窓際の人から奥の人へと「手送り」で渡している。「大きいなあ」「落とすなよ」「また来るからね」など、にこにこしながらの声が飛び交う。まさに「旅たのし」ではないか。このときに「旅たのし」に他の表現を当てる必要はない。ストレートに「たのし」だからこそ、情景が生きるのだ。そして、この「たのし」をもたらしたのは、西瓜をもらったこともそうだが、より「たのし」く感じたのは「手送り」という協働行為そのものによっているだろう。「手送り」は日常的な行為のようであって、実は普段はあまり経験することがない。気心の通じる仲間が何人か集まった旅などで、はじめて成立する行為なのだ。いいなあ、みんなでわいわいと旅に出たくなった。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)
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