August 132001
生身魂七十と申し達者なり
正岡子規
明治期の七十歳は、人生五十年くらいが普通だったので、相当な高齢だ。いまで言えば、九十歳くらいのイメージだったのではなかろうか。しかも達者だというのだから、めでたいことである。まこと「生身魂(いきみたま)」と崇めるにふさわしい。盆は故人の霊を供養するだけでなく、生きている年長者に礼をつくす日でもあった。いわば「敬老の日」の昔版だ。孫引きだが、物の本に「この世に父母もたる人は、生身玉(いきみたま)とて祝ひはべり。また、さなくても、蓮の飯・刺鯖など相贈るわざ、よのつねのことなり」(『増山の弁』寛文三年)とある。このようにして祝う対象になる長寿の人、ないしは祝いの行事そのものを指して「生身魂」と言った。しかし、いつの間にか、この風習が「よのつねのこと」でなくなったのは何故だろう。それとも、寺門の内側ではなお生きている行事なのだろうか。新井盛治に「病む母に盆殺生の鮎突けり」がある。殺生をしてはならない盆ではあるが、「病む母」のためにあえて禁を犯している。作者にしてみれば、生きている者こそ大事なのだ。何も後ろめたく思う必要はない。この姿勢は「生身魂」の考えに通じているのだから。(清水哲男)
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