子供を叱る母親の声があちこちでするのも、この季節である。夏休み中のお母さんは大変なのだ。




2001ソスN8ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1482001

 稲稔りゆつくり曇る山の国

                           廣瀬直人

者は山梨県東八代郡に生まれ、現在も同地に暮らす。したがって山梨の山河に取材した句が多いが、掲句もその一句だ。季語は「稲」で秋。なによりも私は、一見地味な「ゆつくり」の措辞に心惹かれた。一面に広がった田圃に稔りつつある稲の生長も「ゆつくり」なら、空の曇りようも「ゆつくり」である。「ゆつくり」は単に速度が遅いという意味ではなく、自然の動きが充実しながらしかるべき方向に移ってゆく様子を捉えている。自然が、自然のままに満ち足りて発酵していく時間の経過を述べている。「山の国」ならではの感慨で、都会でもむろん「ゆつくり」曇ることはあるけれど、それに照応する自然がないので、単に速度が遅いという意味にしかなり得ない。子供の頃の私の田舎でも、時はこのように「ゆつくり」と流れていたのだろう。そして、おそらくは今も……。しかし当時の私には、充実に通じる「ゆつくり」が理解できなかったのだ。ただそれを、退屈な時間としか受容できなかったのである。今日あたりの故郷には、村を出ていった友人たちも多く帰省しているだろう。そして、この「ゆつくり」の自然の恵みを存分に味わっているにちがいない。帰りたかったな。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)


August 1382001

 生身魂七十と申し達者なり

                           正岡子規

治期の七十歳は、人生五十年くらいが普通だったので、相当な高齢だ。いまで言えば、九十歳くらいのイメージだったのではなかろうか。しかも達者だというのだから、めでたいことである。まこと「生身魂(いきみたま)」と崇めるにふさわしい。盆は故人の霊を供養するだけでなく、生きている年長者に礼をつくす日でもあった。いわば「敬老の日」の昔版だ。孫引きだが、物の本に「この世に父母もたる人は、生身玉(いきみたま)とて祝ひはべり。また、さなくても、蓮の飯・刺鯖など相贈るわざ、よのつねのことなり」(『増山の弁』寛文三年)とある。このようにして祝う対象になる長寿の人、ないしは祝いの行事そのものを指して「生身魂」と言った。しかし、いつの間にか、この風習が「よのつねのこと」でなくなったのは何故だろう。それとも、寺門の内側ではなお生きている行事なのだろうか。新井盛治に「病む母に盆殺生の鮎突けり」がある。殺生をしてはならない盆ではあるが、「病む母」のためにあえて禁を犯している。作者にしてみれば、生きている者こそ大事なのだ。何も後ろめたく思う必要はない。この姿勢は「生身魂」の考えに通じているのだから。(清水哲男)


August 1282001

 裏畑に声のしてゐる盆帰省

                           村上喜代子

日十三日から、月遅れの盂蘭盆会(うらぼんえ)。今日あたりは、ひさしぶりの故郷を味わっている人も多いだろう。長旅の疲れと実家にいる安堵感でぐっすりと眠っていた作者は、たぶんこの「声」で目覚めたのだろう。農家の人は朝が早いから、まだ涼しい時間だ。都会の生活では、まずこういうことは起きない。これだけでも「帰省」の実感がわいてくるが、その声の主が日頃はすっかり忘れていた人だけに、よけいに懐かしさがかき立てられた。「裏畑」のあるような狭い地域社会では、みんなが顔見知りである。だが、田舎を離れて暮らしているときには、その誰彼をいつも意識しているわけではない。ほとんどの人のことは忘れているのだけれど、こうやって「帰省」してみると、不意にこのようなシチュエーションで、その誰彼が立ち現れる。当たり前の話だが、これが故郷の味というものだ。昔と変わらぬ山河もたしかに懐かしいが、より懐かしさをもたらすのは、その社会で一時はともに生きた人たちだ。浦島太郎が玉手箱を開けてしまったのは、山河は同じで懐かしくても、まわりには誰も知らない人ばかりだったからである。作者は、これらのことを「声」だけで言い止めている。それぞれの読者に、それぞれの故郷を思い出させてくれる。この夏も、私の「帰省」はかなわなかった。『つくづくし』(2001)所収。(清水哲男)




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